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仏造って魂入れず

昨今、自分が興味があることをYouTubeなどを見ることで、簡単に「分かる」ことができるようになりました。

例えば、私が野球でバッティングを知りたいとすると、それこそ有名な元プロ野球選手がYouTubeで詳細に、その練習方法を教えてくれますね。

一昔前なら、このような有名な元選手に会って、バッティングの教えを乞うことなどあり得なかったですよね。

そういった意味では本当に便利な時代になりました。

ではここで私は、このYouTubeで元プロ野球選手のバッティングの教えを受けて、それこそYouTubeを繰り返し、何度も見てバッティングのコツが分かったとしよう。

そして、このバッティングのコツは完璧に分かったのだから、このプロ野球選手と同じように華麗なバッティングができるでしょうか。

結果は無理ですね~。

理由は、決して私の年齢や素質がないからではありませんよ。笑

正しい理由は、バッティングの知識が「分かる」ことと、バッティングが「できる」ことは、全く別だからですね。

特にYouTubeなどの動画だと分かりやすいが故に、あたかもすぐにも出来てしまいそうな気持ちにさえもなってしまいますよね。

これはこのような事例だけでなく様々なこと、例えば勉強や研修でも当てはまるのです。

つまり、物事の「分かる」と「できる」を同列に考える方々が如何に多いかということなのです。

この点をしっかり理解しないと、勉強や研修の成果はあまり見込めないでしょう。

さて、前置きが長くなりましたが、介護業界でも昨今の新型コロナウイルス感染症の影響もあり、本当に様々な動画研修が増えましたね。

例えば、介護報酬算定の要件としての研修の受講が定められている場合など、介護スタッフは、それこそ一生懸命、動画研修を受講しています。

皆さん、研修を受講し「受講確認→レポート提出」をしていますが、これは先ほど私が例に挙げたYouTubeのバッティングのコツで「分かる」レベル位には、果たしてあるのでしょうか。

直接、私が見ている限り、それさえも怪しく見える場合もあり、ましてや「できる」というレベルには達していないのでしょう。

これは非常に大切なことですが、例えば介護スタッフのスキルを向上させる、または今後事業所として非常災害時の対応につき、介護スタッフに研修してもらうならば、単に研修が「分かる」ではなく、研修内容が「できる」でないと研修の意味があまりなくなってしまうのではないでしょうか。

前述の、私のバッティングの知識が「分かる」は、まだ私の趣味の範疇だから「できる」とならなくとも、私自身が単に悔しい思いをするだけでしょう。

しかし、介護事業で定められた様々な研修は、介護報酬算定の要件であることはもとより、専門職業家として、単に「分かる」に止まることではなく、「できる」となるように、明確に志向しなければならないはずでしょう。

理由は明快。

介護事業の専門職業家であり、その先には介護サービスを利用する利用者やそのご家族の期待があるはずからですね。

単なる「分かる」のみの、動画研修を流して受講、これを良しとするならば、これぞ「仏造って魂入れず」の研修となってしまいます。

ちなみに、私の開催する研修では、受講者が、単に「分かる」ではなく、必ず「できる」ようになることを志向していますが・・・。

なぜなら、そうでなければ、お互いに貴重な時間を費やしてまで研修を開催する意味がないからです。

今回もブログ「旗本雑記帳」をご覧いただき、ありがとうございました。次回もお楽しみに❗👍️













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