好きなことが見つからなくても、好きなことが決まっていても、もがくのは同じ
自分が学生の頃、好きなことが見つからなくて、
好きなものを見つけようと、もがいていた。
ゆめパのじかんに出てくる子どもたちは
毎日、自分で、自分のすることを決めて過ごす。
そんな「好きなこと」を見つけた子どもたちも
その道を突き進んで生きていけるのだろうか、
食っていけるのだろうかと、もがいていた。
学校に行けば、課題が出て、とにかく解き進めば
進んでいけるけど、学べることは決まっている。
ゆめパに行くと、自由に過ごせるけど、
まずは何に取り組むのか自分で決めないといけない。
うまくいく時ばかりじゃないし、
楽しいことばかりじゃない。
自由な時間を過ごすことは、熱量がいる。
「自分の人生を受け止めてくれるようになってくれると信じるし、祈るしかない。」
「本人にしたらしんどい思いも含めて色々あろうけども。見てるこっちからすると真剣に悩む姿はやっぱり素敵だなって思う。」
こうしたら?これがいいよ!手伝おうか?と言いたくなってしまいそうだけど、とにかく見守る周りの大人たち。
「自由に動き回りたい。だから絶対動きを強制されたくないし、まわりにも、押し付けたくない。」そう言いながらも、仲間を見つけて、縁日の店づくりをしている姿にほれぼれとする。
学校でも、遊び場でも、仕事場でも。
どんな居場所が自分に合うのか。
何をされると自分が苦しいのか。
どんなことだったら自分が頑張れるのか。
自分の居心地がよい条件を知っていること。
その条件にあう人がたとえ少数派であっても、
自分の気持ちを尊重して生きていくことを応援
してくれる人が周りにいることが、
大切なんだと感じさせてくれる時間でした。
相談されたら、どうした〜と話を聞いて、
こうしたら、ああしたらとアドバイスはせずに、
同じ目線で一緒に悩んでみる。
そんなふうな大人でありたい。
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