LGB「T」にまつわるちょっとした話(5)
Twitterに於けるトランス女性への攻撃、またトランス女性への排除的な書き込みが目立ち、TERFという言葉を多くの人が使うようになって随分前からTERFの話をしていた私としてはこの現象に逆にびっくりしています。
・そもそもTERFとは?
ラディカルフェミニズム的な考え方で行けば「社会的な性差は破壊されてしかるべきもの、ジェンダーが無くなれば男性が女性にトランスする必要は無くなる」といった考え方。
つまり、以下の様なこと
・男女平等な社会であればジェンダーは無くなる。
・ジェンダーが無いのであれば、女性が化粧やドレスなど女性を装う必要は無くなる。
・トランスジェンダーの女性は。男性がホルモン・手術も含めて女性を装うものである。
・これらのホルモンや手術はジェンダーは、現社会における美容整形的なものであり害悪である。
・また、多くのトランスジェンダーは旧来の女性ジェンダーを追う保守的なモノであり女性にとっても害悪である。
とまぁ、こんな感じでそもそもトランス女性の存在がこういったラディカルフェミニズム的な考え方から言えば害悪であるという事です。一方で、同じラディカルフェミニズムでもいわゆる多様性がある方向で考える人達もいて、このタイプではトランス女性、トランス男性の様なタイプがいることもまたジェンダーの多様性であるといった考え方になるわけです。
同じラディカル(過激な)フェミニズムと言われながら、その考え方に大きく違いがあり、トランスジェンダーを排除しようとする前記のタイプをTERF(Trans exclusionary radical feminist(トランスを排除するラディカルフェミニスト)という風にして分けて考えようとする言葉なわけです。
・現実の排他的な行為
前述したそれぞれのラディカルフェミニズムについては、著名なフェミニストの著書・論文などがあり、学問的な部分においてトランスジェンダーのグループなどと衝突をおこしている訳ですがこれとは別に、そのTERFの考え方に傾倒したレズビアンを中心とした女性グループによってトランス女性排除の実行動が起きたりします。
有名な所ではアメリカのMichfest(ミシガンウーマンズミュージックフェスティバル)と呼ばれる女性オンリーの音楽フェスが1976年から毎年開催されました。1991年にトランス女性のナンシーバックホルダーが友人のシス女性に誘われて、このフェステイバルへ参加をすることになります。ところが、スタッフによりIDチェックをさせられて『このイベントは女に生まれた女だけが参加できる、トランス女性は参加できないので退去してくれ!』と強制退去になります。
さて、当人は当然残念な思いで出て行くわけですが、一緒に行こう!と誘った女性はもっと残念な感覚と怒りを覚えるわけです。「何故!?彼女が女性として扱われないんだ?」と…。
そして、その後Michfestの会場入口付近でトランスジェンダーや有志グループで「CAMP TRANS」というデモ活動が行われます。これらの活動によりじょじょにトランス女性は女性だと共闘してくれるシス女性も増え、また、この抗議に共感した出演バンドなどが、トランス女性を受け入れなければ出演を見合わせるとボイコットをするようになったのです。
結果としてはこれらの状況を受けて主催者側は2015年Michfestの終了を発表します。トランス女性を受け入れるように嘆願するシス女性の声が大きかったことが、それを認められない主催者側の最後の抵抗といった所でした。
・日本に於けるトランス女性に対する拒否行動をどうみる?
昨年から起きているTwitterでのトランス女性に対する排除的、また、恫喝的な言動は前記したTERFの言説と異なる部分も多く、思想的な部分でトランス女性に対して攻撃的な行動を取っているというよりは、強いトランスフォビア(恐怖・嫌悪)からくる排除的行動と思われます。
『トランスの権利を認めると、女子トイレに男が入ってきてレイプするぞ』といったこの手の発言が多数見られましたが、海外で同様の発言をしているのはキリスト教系の保守団体などの男性が中心に行う(つまり、すでにフェミニズムでもなんでもない)場で見られます
前記したTERF的な考え方では『ホルモン・手術』の否定をしていますが、日本の場合むしろ『チンコ切ってこい!』など『手術さえすれば、認めてやらないでも無い』といった意見もかなり見られます。
・ウーマンリブが続かなかった日本の鬱憤がトランス女性へ向かう!?
ジェンダーギャップ指数が世界110位という状況で、昨年の女子の医大受験に関する不正差別化の問題や、もちろんBBCで特集された詩織さんの話を中心とした日本の女性への性的差別の問題など、世界の流れと比較してあまりにも酷い状況である。
一方で、トランスジェンダーという言葉は以前にも書いてますがゲイリブの流れから始まっていますので、この言葉を使うのは病理化を否定する人権に根付いた運動から広まっていった言葉です。
ウーマンリブで挫折している日本の女性が、このトランスジェンダーの声に対して「お前ら可哀想な病気だったんちゃうんか?ふざけるなボケッ!」といった具合で、自分たちの人権がないがしろにされているのに、人権を掲げるトランスジェンダーという人達の存在が「自分たち人権を掲げて戦わずに我慢しているのに、何故あの人達は我慢しないんだ?」と…
日本式マイナス面の同調圧力が発動したという感じでしょうか?
その怒りをトランス女性に向けてもなにも良いことはありません。何故なら何度も書いてますが、トランスジェンダーは全国民の0.6%程しかいないからです。地方であればトランスジェンダーと遭遇する率でさえかなり低いかと思われ、また、その人達を排除したからといってジェンダーギャップ指数が改善されることは少しもありません。
どれだけ、これらの攻撃的な女性がトランス女性を標的にしようが現実としてトランス女性が居なくなることは無いので、より社会は性差にかんして多様性が無くなる方向へ邁進し、結果として現状のジェンダーギャップの維持を強化する手助けになるといった所かと思います。
・ウーマンリブを本気で考えてみよう
昨今ハッシュタグで流れている#KUTOOの話や、先日集会があったアフターピルの話でも、女性の生活が女性の自由にできない部分がまだまだ多い部分に問題があるのでは無いでしょうか?
詩織さんの件にしても、先日あった準強制性行に関する裁判についても、あきらかに女性をばかにしている内容であり、こういう部分を変えるためにより強く社会へ向けて怒っていかないとマズイと思うのです。
トランスジェンダーにとっても、性の平等が担保されよりジェンダーが多様化した社会の方がより生活がしやすいのは間違いありません。そして、それはトランスジェンダーを攻撃しても、性の平等にはなんら関係がありません。
女が女であるということでいちいち危険な目にあう社会が問題で、それが放置されている状況がものすごい問題な訳です。この問題に怒りましょうよ、女子トイレで悪いことをしようとしている人は、その性別に関わらず全て憎むべき犯罪行為であり、そういう輩がいる状況に怒りましょうよ!
犯罪に関係ないトランス女性を排除しても、問題は何も解決しませんよ?そして、ジェンダーが多様化することにより、化粧やフェミニンな衣類、足の痛いパンプスからも解放されますよ!
Womans Rights Are Human Rights(女性の権利は人権です!)。是非、多様な女性と共に声を上げてジェンダーギャップが無くなり、性の平等が担保された社会を訴えませんか?
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