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トランスジェンダー当事者の母の想い…。

こんばんは。
今日も皆様お疲れ様です。

私が3.4歳の時、家中の椅子を倒してツバを吐いて暴れ回っていたことがあります。
なぜかわからずにすごく怒っていたのは覚えています。

母から、その時の理由を聞きました。
女の子だからもっとおしとやかにしなさいといろんな人に言われていたのが原因だと今では思うと言われました。
私は幼少期すぎて覚えていませんが…。

27年前は性別不合(性同一性障害、性別違和)なんて言葉はなかったので
小児科や子ども心療内科に相談しても原因は分からず
両親はどうしていいか分からなかったみたいです。
私自身、その時に発達障害テストを受けに行った記憶はあります。
積み木をしたり絵を描いたりしていました。

保育園でもスカートは絶対履かないし
母は何かおかしいなということには気付いていたようです。
友達も男友達ばかりでした。

人形も買わないし、刀を欲しがるし、男の子っぽいなと思っていたようです。
小学1.2年は不登校で女の子用のパンツを嫌がり
兄のパンツをはきたいと言っていたようです。

小学3年生くらいからまつ毛や前髪、眉毛を抜く抜毛症でした。
水泳を習いましたが水着が嫌で辞めることになりました。

中学生からスポーツブラをつけていましたが
私は絶対に買わないので母親が買いに行っていました。
買いに行くのはかたくなに拒否だったようです。
確かにブラジャーを買いに行った記憶はありません。
母は女の子だったらブラジャーも可愛いの付けたくなるはずなのにおかしいなと思ったようです。

中学と高校は坊主でしたが
母は女の子は髪が命と言われているのにおかしいおかしいと騒いだようです。

中学のガラスは割るし、裸足で廊下を走って野生児と言われるし
カバンを5回も壊すし、ここでもおかしいなと思っていたようです。

ホルモン注射を打った時に両親にカミングアウトしましたが
母はいつか治る、普通に戻ると思っていたようです。

私からしたら治るとか治らないとかそんなものではなかったですが
やはり親の心境としてはそういうものでしょうか。

手術まではしないとは思っていたようです。
私が内緒で日本を出発した時、
私としては子どもに言ってもらえなかった寂しさのようなものがあったのかと思っていましたが、、

その時はもし失敗したら遺体はどこに運ばれるのか、
障がいが残らないのかとか、そんなことを考えて家中をウロウロしていたということでした。

職場の人にも話すことのできない内容で
誰にも相談できなかったからウロウロするしかなかったと当時の心境を教えてもらいました。

今はただ生きていたらそれだけで良いと言ってくれています。
私はこの話を聞いて
幼少期の暴れていた時のことなども、その時は原因不明だったけれど
今では女の子らしさを求めていたことが原因だと言ってくれて
なんだか心がスッとして話を聴いた後に隠れて泣きました。
自然と涙が溢れたのです。

当時はLGBTなどの情報もないのに保育園の頃からずっと見守ってくれていたんだと思ったら母の愛は凄いなと思いました。

この話はちょうど2年前に母と話した時の事でした。
話をできたのが28歳の時だったので、今までお互い秘めていたことがあったんだなと思います。

これからはもっといろいろ話していきたいです。

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