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【コラム】分かり合えなくても『分かち合える』なら


いろんな人と関わり、いろんな人の心と触れて仕事をする中で、本当の意味で他者と分かり合うことは不可能だとわたしは考えています。


それは悲観的な考えではありません。


どうあがいても自分以外の他者を生きることはできないため、同じような経験をしていても、同じような環境にいたとしても、その人の本当に感じている感覚や感情、痛みや歩んできた心のプロセスを、全部自分のこととして体験することはできないからです。

しかし、分かり合えることは無理だとしても、”分かち合う”ことはできます。むしろ、分かり合えることを手放して、分かち合うことを前提に過ごすことができたときに、相手の中に自分を発見することができます。そのとき私たちは、相手の中に自分にもある同じ感情や感覚、心を見つけて『うん、うん。わかる』と言うことができる。


そのような時、本当にわかっているのは相手のことではありません。本当に分かったのは”自分”のことなのです。だからこそわたしたちは、他者を通してより自己理解を深めることはできても、他者の中に自分を埋め込むことはできないのでしょう。


しかし、人というのはそれをする前に、まずは他者に自分の価値観や常識や当たり前、そして心というものを預けてしまいがちです。


わたしの代わりにあなたが、わたしよりも理解して!


そうやって叫べば叫ぶほど、その不可能さにげんなりして、相手への幻滅という形で悲しみが現れます。

その都度、誰よりもわかってあげられるのは自分自身なんだ、ということを再認識するのです。そして外に向けていたベクトルを、自分に向け直すのです。


あらゆる人間関係における悩みや不満は、この「分かり合う」ことと「分かち合うこと」の混乱が生み出しているように思うのです。

分かり合えないことを前提に、自分が自分のことをまずは”わかる”こと。その上で、分かち合うことで相手の中にも気づきや発見がもたらされるときに、心が通じ合ったと感じるのではないでしょうか。


なんでわかってくれないの?

どうしてわからないの?

なぜそんなこともできないの?

どうしてそんなこともわかってくれないの?


悲痛な叫びは、自分に向けられているのです。もっとわかってほしい、と。もっともっと自分のことだけに首を突っ込んで、恐れることなく自分のどの部分さえも尊いと触れてみる。そうやって”誰かに分かってもらおうとしていた自分”は自分に見つけてもらうことで居場所を確保し、安心していきます。


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最近、わたしはずっとブルーなんです。気持ちが落ち込んだり上がったり、今のこの天気のように曇りがかって辛かったり、幸せだったり、いろいろです。

でも、その時その時の自分と一緒にいてあげる、とわたしは決めているので、ブルーで不調で精神的に安定しないことが『問題』となることはありません。

ただシンプルにいつもやることは一つだけ。自分といてあげること。突然出てくる理解できない自分にそっぽ向くのではなくて、その自分に触れて「あぁ、今はこう感じているんだな」って知ってあげること。


どんなテクニックよりも、どんな手法よりも、ただシンプルにその時その時の自分と一緒にいてあげる姿勢が、心からの安心を与えてくれます。

そうなってくると、もはやブルーもレッドもピンクも良し悪しはありません。それはただの違いなだけです。


まさにお天気と同じ。あぁ今日は曇っているな、とか晴れているな、とか。雨がすごいな、とか蒸し蒸しするな、とか。

その日のその天気でしか味わえない景色、体験できないことがあるとするならば、心も同じ。


今落ち込んでいるなら、過去の自分と比べることもなく、未来の自分と照らし合わせる必要もありません。昨日はあんなに気分が良かったのに(過去)、とか本当はもっと楽しく過ごしたいのに(未来)とか、

少しだけ脇に置いて、今しか体験できない”自分”を知って、認めて、受け入れて。


そうこうしているうちに、お天気は変わっていくのです。そういうもんだと思って、ブルーはブルーとして、この色を楽しむばかりです。

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この前ひさびさに行った京都、すごく素敵だった。

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