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幸せの形を見極めるメンタルケア【素敵なものが増えて不足感が減るとき】



これがあれば、あれができれば、それが叶えば、幸せになれるに違いない!と盲信しているときは、脳みそが何者かにハイジャックされているなと思うようにしています。


この、「今わたしは脳みそが何者かにハイジャックされているシミュレーション」みたいなゲームは結構お気に入りで、割と日常的に行います。嫌だ嫌だと避けるのではなくゲームだと思うと、今自分の脳内で何が起きているのか客観視することができるからです。盲信している自分を避けて通るのではなく、ハイジャックにより盲目的になっている自分を見ることで逆に冷静になれる、というわけです。誰がわたしの脳を占領しているのだ!と。


そして、何に・誰にハイジャックされているのかを探ります。囚われている身としては、ハイジャックしている奴の素性を知ることが脱出の第一歩ですよね。だから静かに探るわけです。誰がわたしをハイジャックしているのか、と。


大体は、わかりやすい人物ではなかったりします。世間一般的のイメージだったり、昔見た映画とかアニメの影響だったり、昨日読んだ心ときめく少女漫画に出てくるイケメン高校生だったり、時々によっていろいろです。


素敵なラブストーリーが、素敵だったからというだけの理由で今の自分に不足感を感じるわけです。でも本当はそれ、今の自分が不足しているからではなく、「ラブストーリーが素敵すぎただけだ」という風に思えたら、脱出できるんですよね。足りないから欲しいのではなく、素敵なだけだったから、と。素敵なものは全て欲しい?ノンノン、そんなことないはずよ。


世の中には素敵なもの、素敵なストーリー、素敵な商品や素敵なサービスがたくさんあるのです。それを素敵だ!と思うたびに不足感を感じていたらキリがありませんよね?だから、ハイジャックされないように、あるいはハイジャックされたとしても気づけるようにしておくことは、一種のメンタルケアになります。素敵だと思うからといって欲しいわけではないし、素敵だからといって自分が今必要としているとは限らない。それとこれとは別なのですね。分けることができると、素敵なものは増える一方でも、不足は増えません。



ハイジャック犯が記憶の中の父や母だったりすることもあります。小学校の時の先生だったり、ものすごく強烈に覚えている大人だったりすることもあります。何れにせよ、「これがあれば」「あれができれば」「あの人とあぁなれれば」と”絶対的な幸せの形を叫ぶ犯人”は、自分ではないのです。そして、欲しがるのも自分ではないことはほとんどです。



こだわってしんどい幸せの形が人間関係を壊すことも多いですよね。それは理想というものではありません。ハイジャックされている者同士が、自分の理想さえ見失って、脳内に住み込んでしまった他者や空想上のヒーロー・ヒロインがいがみ合っているだけなのです。理想を共有することは必要なことだとしても、幸せの形に執着するハイジャック犯が仲良しでいられるとは思いません。


不幸を感じてしまうとき、不足を感じてしまうときの、あなたの求める幸せは誰の幸せでしょうか?自分を幸せにする幸せの形を探してみてください。ハイジャック犯と対話してみると色々面白いので、怖がらずに堂々と話しかけると、案外気さくだったりして、自分の脳みそを取り戻すことに成功できたりします。


自分自身の心から欲しい幸せの形は、抱いているだけで自分を幸せにするものなのです。


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