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【ある種のストレスケア】正しい問題も課題もないから、乗り越えたいことは自分で決めよう。


先日、Facebookに投稿した記事に加筆しました。


『許すこと』ってなんだろう。

突然それについて年始からずっと考えてたんです。


許すこと、という言葉はとても動的(DO)ですよね。

一方、”許せている”は状態です(BE)


DOとBEは混ざらないので、同時に叶うことが実はありません。

なので、頭で理解しようとすると・・・許している状態で許すという行為はできない、という矛盾が発生するんですね。

成ろうとする者に、成ろうとしている時はなれないけれど、すでに成ろうとするもの”だった”と気づくことで、完了する。言葉にすると変に聞こえちゃうのですが。


例えば、わたし秦由佳が秦由佳を生きる!(DO)というのは、わたしが”解釈している”秦由佳らしさ”というものを生きるということになるので、どうしても秦由佳を生きよう(DO)とすると、秦由佳(BE)との距離があきます。

生きようとしている秦由佳を認識するためには距離をあけて観察しなければならないため、わたしがわたしを生きようとすればするほど、実は秦由佳(BE)から遠ざかってしまうということが起きます。


じゃあ、秦由佳でいる(BE)としたら?

すでに生きているだけで完了するんです(笑)

そこに特別な行為は必要なくなる。つまり、何もしなくてもいい(笑)

逆に何をしていても、それが秦由佳を生きているということになる・・・

ということが発生します。


許そう(DO)とすると、許しの状態(BE)からいったん、離れなければいけません。

そして、許す(DO)ために何をすべきか?と考えると、許せている状態(BE)の間にどんどん、いろんなものが置かれていきます。

だいたいは、障害物です。自分にハードルを課してしまうのですね。


この、許そうとする(DO)と許せている状態(BE)の間に、どんな障害や乗り越えなければならない問題を入れ込むかは、人によって違います。


あるひとは10個くらい、あれもこれもしなきゃって入れ込んで「あー、自分にはできないー」って落ち込んだりするし、あるひとは1個でかいの入れ込んで「この原因さえなんとか取り除けば!!」と意気込んで、無意識にその問題へ執着してしまって堂々巡りする。

本当はその時に、『自分を問題視して、何かを解決することによって存在意義を感じようとしている部分』が自分の中にあると気付ければ、真ん中に戻りやすくなるんじゃないかと思います。


つまり、中庸(ニュートラル)な状態に戻りやすい、と。


問題を過剰に必要とする自分の一部を、普段から認識しているのは、ある種のマインドフルネスなんじゃないでしょうか。


あぁ、許しって深いなーって思っている年始でした。


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なんのために誰になるのか


だからと言って、理想の自分になろうとするとか、現実を変えようとすることが無駄なわけではありません。要するに、”楽しめるかどうか”ってことなんじゃないかなーと思うのです。


こういう自分になろうとするとか、こういうことを起こしたい(現実を変えたい)というのは、

本質的に言えば「そうしようと思えば思うほど、距離があいて障害が増える可能性が高い」ということです。(あえて可能性が高い、という表現にしています)


何かになろうとして出てくる障害(だと本人は思っている)ものが、本当に障害かどうかは分かりません。自分にとっては障害で問題で課題だと感じていても、別の人からすると何の問題もないということだって大いにあります。


そうなってくると、本当は正しい問題も課題もないということになってきてしまうので、

”当の本人が問題解決やハードル越えを楽しめるかどうか”

ということになります。


なりたい自分になろうと一生懸命努力するうことが無駄なのではなく、それを楽しめないのであれば、そもそも目指しているその自分は本当に、なりたい自分なのか?(重なりたい現実なのか?)ということが見直すことがベターだということ。



コーディングに泣いた日々



例えば、わたしは独学である程度のプログラミングを覚えたので、簡単なホームページやランディングページなら自分でつくることができます。

ただ、ある程度できるようになるまで、何度も挫折しました。うまく動かないし、本を読んでもそうはならないし、頭は痛いし、忘れるし。


何度も嫌になる度に、ハッと気づいて自問したのです。


「おまえさんは、どのレベルになりたいんや?」と(笑)


わたしは別に、プログラマーになりたいわけではないし、それを仕事にしたいわけではなかったのです。単純に、つくりたいと思ったものをつくれれば、それで良かった(笑)

無意識のうちに、

・なろう(DO)としていた自分

と、今の自分(BE)との間に大きなギャップをつくって、わざわざいろんな課題を課していたのは自分だったと気付くのです。

その度に、”問題や課題を楽しめる範囲まで減らす”ということをしました。


・これができるようになりたい

と思う自分に向かって行動することそのものが、しんどいこともあるけれど

ちょっと楽しいな、楽しみだな、って思えるレベルを自分でコントロールするというのは、ひとつのストレスコントロール・スキルだと思うのです。そうやって、無理のない程度にやれたからこそ、コツコツ続けることが出来た。


若かった頃は、”積み重ねること”の重要さをどこか甘く見ていたけれど、年齢を重ねるたびに、積み重ねに勝るものはないなと、感じています。



何を問題や課題とするのかも自分次第だと気付くこと


BE(あること)を受け入れて
DO(すること)は楽しんで

と言う姿勢が個人的には好きです。


今の自分を過剰評価もせず過小評価もせずまんま受け入れて、その上で『楽しみ』としてなりたい自分を未来に設定する。


あまりにも、今の自分と距離を置きすぎると本末転倒なので、今はどのくらいの距離がいいかなー?なんて感じながら、調整する。

今の自分となりたい自分の間に距離が生まれると、そこに道ができる。道の間に、無意識のうちにたくさんの障害物を置いてしまわないように注意することがポイントです。

どうせやるなら(DOするなら)
楽しい障害物競走をしようじゃないか


そんな感じかもしれません。


潜在意識について学ぶこと、意識的な観察を続けることなどによって受ける恩恵のひとつに


”正しい問題などないから、どうせ問題を解決したいなら好きなものを選んでいい”

と気付けるようになることが、あるかもしれません。


2020年、また改めて解説していきたいテーマが増えたハタユカでした。



もし人生が無条件に自由で豊かだったら何をするかと言われたら書く、というくらい書くことが生きる上で欠かせない人間です。10年間の集大成を大放出します。サポートは全て執筆と研究活動に使わせて頂きます