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第六話 僕の歌を聴いてください

 「なんでバンドマンとばかり付き合ってきたか、もう少し話しても良い?」彼女は、僕の肩に頭を預けて呟いた。僕は、彼女の髪を梳き、「うん」と頷き、先を促すように彼女を見詰めた。

 「うちの親、特に母親が、いわゆる毒親なんだ。成績、習い事、付き合う友達、全部コントロールしようとするの。私の心の拠り所は、バンドマンだった母方の叔父だけだった。母に叱られて辛くなると、叔父のところに逃げ込んでた。『ナオちゃんはそのままでいいんだよ。どう考えるか、どう生きるか、誰と付き合うか、全てナオちゃんの自由だ』って言ってくれたの」

 僕は、労わるように彼女の肩を撫でた。
「良い叔父さんが居て、よかったね」
「うん。それとね、叔父は格好良かったの!私の初恋の人よ。勿論、プラトニックで一方的な片想いだったけど。その叔父も、私が高校1年生の時に亡くなったの。胃癌でね。見つかった時は、手遅れだったみたい。付き合う男の人がバンドマンばかりなのは、私を一人の人間として認めてくれた叔父の面影を、未だに探してるのかもね」フフフと笑った彼女の目は、涙に濡れて光っていた。

 どんな言葉を掛ければ彼女の心を軽くできるだろう。僕は少し逡巡した。

 「ナオさんにとっては、バンドマンとの恋愛遍歴は、まさに『自由への疾走』だったんだ。ロックだね。ちなみに、ロックな女の心に残る初恋の男は、何の楽器がメインだったの?」と、あえて軽い調子で尋ねた。

 「えーっ、それ、聞くぅ?!」ナオさんは、急に顔をしかめた。
「なんだよ、こんな大事な話をした後で、そういうディティールは隠すわけ?」僕が煽ると、彼女は、渋々認めた。
「叔父さんは、ギタリストだった」
「・・・それ、なんで隠したかったの?別に普通じゃない?」僕が拍子抜けすると、ナオさんは照れ臭そうに僕の肩に顔を擦り付け、小さな声で打ち明けた。
「だって、ギターは叔父さんのポジションだから、私の中では永久欠番みたいな感じで。ベースやドラムの男とは付き合ったことあるけど、ギターの男とは付き合ったことないの」
「えっ・・・、じゃあ」と、僕が言いかけたところで、
「そうよ、佑哉くんが、私にとって初めてのギターの男よ」と、彼女は認めた。
「うわ・・・。すげぇ嬉しいんだけど・・・」僕は胸が熱くなり、顔を伏せた彼女の顎を掴んで持ち上げ、拗ねて尖らせた唇に優しくキスをした。

 心身共にキャパオーバーだったのか、僕は、その会話の直後に寝落ちした。

 翌朝目覚めた時、既に彼女は居なくなっており、テーブルの上には簡潔なメモが一枚残されていた。
「仕事があるので帰ります。起こしたら悪いので、黙って帰るけど、ごめんなさい。玄関はロックして、鍵は郵便受けに入れておきます」

 濃密に愛を交わし合った翌朝の快い疲労感を味わうのに、その夜を共にした相手が居ないのは、こんなに寂しいものなのか。昨夜の出来事が夢ではなく現実だと教えてくれたのは、シーツに淑やかに刻まれた皺と、そこに残された彼女の温もりと香りだけで、僕は、堪らない気持ちになった。

 次の週末。彼女は何事もなかったような顔で、いつも通りライブハウスにやって来た。僕はずっと彼女の姿を追い求めたが、彼女は、僕と目を合わそうともしなかった。近付こうとしたら、さり気なく席を外してしまう。結局、この日は、話しかけることはおろか、一度も目を合わせることもできなかった。気が付いた時には、彼女はもう姿を消していた。
 彼女の連絡先を聞いていなかったことに気付いたのは、終演後だった。

 なぜ僕を避けるんだ。あの日、お互いに心と身体を開いて、一緒に気持ち良くなったと感じたのは、僕だけじゃないはずだ。

 彼女と肌を重ねた一夜の記憶は、僕を甘く苛んだ。日ごと募る恋心を持て余した僕は、彼女を愛撫するように、優しく激しくギターを掻き鳴らした。伝えることさえできなかった気持ちを、曲にした。

 翌日の練習の最後、「曲を作ったから、聴いてほしい」と、メンバーを引き留めた。普段は、ノルマや締切が無いと曲を作らない僕が自発的に持ち込んだので、みんな不思議そうな顔をしつつ、快く残ってくれた。

 僕が歌い終わった時、メンバーは一言も発さず、一様に真剣な顔をしていた。
 「えっと・・・、どうかな」沈黙に耐えかねた僕が、おずおずとメンバーの顔を順に見渡しながら訊ねたら、リーダーが口火を切った。

 「佑哉、これ、もう録音とかデータにしてある?」
「いや。昨日作ったばっかりだから、まだ・・・」僕は、彼の強い目に、僅かな手応えを感じた。
「じゃあ、なるはやで録音して、Dropboxに上げてくれない?ギター以外のパート作ってみるわ。シンプルにアコースティックなミディアムバラードが良いと思ったけど、もしイメージあったら頂戴」彼は、一気に言い切った。少し鼻の孔を膨らませるのは、やる気になって少し興奮している時の彼の癖だ。

 リーダーが、数日で全体のスコアを完成させ、「次のライブでお披露目しよう」と言ってくれた。それだけでなく、「この曲は、佑哉、お前がリードボーカルをやるべきだ。お前以上にこの曲に気持ちを入れれる奴は居ない」と、他のメンバーも満場一致で賛成してくれ、僕が自ら歌うことになった。

 次のライブを控え、僕は小さな賭けに出た。彼女の連絡先を知らなかったから、自分のTwitterとInstagramで、全体公開でメッセージを送ったのだ。一度でなく、毎日一回ずつ。

 「〇月〇日に、居酒屋○○で僕を見つけてくれたNさん。×月×日、吉祥寺の○○に来てください。僕が作った歌を聴いて欲しいです」

 僕のSNSアカウントのプロフィールには、バンド名も本名も書いてあるし、顔写真も載っている。でも、彼女が気付いてくれるか、その日予定が空いているかは全く分からない。

 「どうか、ナオさんが来てくれますように」
僕は、恋愛の神様に祈った。

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