パパが好き、男性がわからない。不登校になるほど、人づきあいもわからなかった。

私はとても父親が好きです。
父は娘の私に対して常に優しくて、頼りがいがあって、もしなにか大変なことが起きても、いざというときには父がすべてなんとかしてくれると思っています。

でも、ふつうの男性にたいしてはいまだにどんな気持ちで接せばいいのかまったくわからない。

私という人間は根本的には人づきあいがあまり得意ではない方だと思います。ネガティブでマイナス思考だし、人の些細な行動すべてに「私がこんなことをしたから…?」とマイナスな意味づけを行ってしまいます。心底ポジティブな人間が羨ましい、ああ羨ましい。
かといってコミュニケーション能力が皆無なわけではないです。むしろ、高い方かな。知らない人でもうまく話せるし、中途半端な知り合いでも前回の会話から話題を引っ張り出してきて会話につなげることができるし、友達であればその友達の空気感に合わせてうまくキャラを作れるほう。典型的な大学生ですね。サークルごとにちょこっとずつ性格が違くって、ひとつの所属する団体に少しずつ友達がいる感じ。会話の中に私がいてもいなくても変わらないんだろうけど、別にいても会話の流れがとまるわけではなく、うまく参加できる感じ。
でも人と関わった日の夜のシャワーはちょっと大変。自己反省会を嫌でも頭の中でしてしまうから。いたって普通のちょっと過敏な大学生です。

でもこんな風にうまく人との距離感がわかるように少しずつなってきたのは、本当に大学生になってから。大学に入ってからちょっとだけ、ちょっとだけなんですけど「べつに常に人と一緒にいなくったってかまわないのかもしれない」ということが身に染みて理解できるようになりました。

昔はくるしかったな。私、キョロ充だったんです。
一人でいるぼっちって恥ずかしい子なんだってずっと思っていました。それで、ばかにしてた。思春期の女の子にはそんなに珍しい考え方じゃないと思うんですけど、でもこれって自分にもブーメランで跳ね返ってくるんですよね。

だからどうしても一人になりたくなかったので、すごく苦しかった。
絶対隣にいてくれる友達がいないのであれば席が自由な授業には出たくなかったし、一緒にペアを組んでくれる確証がないのであれば体育なんて行けなかった。いつだってどこだって楽しそうに輝く陽キャになりたかった…。

その結果、不登校になりました。高校生の時です。
友達がなんだかうまくできなくて苦しんでいた、一学期の時です。実際には友人と行動していました。ただ大人数グループで少しだけなじめていなかったんですが。自分をあまりにも否定的にとらえすぎていて、大人数の中で楽しい会話を提供できなかったり、かみ合わない発言をしてしまったりすると死んでしまいたくなった。
その時に大好きで仕方なかった先輩が部活を引退してしまって、その時に心がぽっきり折れました。もう何を頼りにして学校に行けばいいのか全く分からなくて、友人もまともにできない自分自身が恥ずかしすぎて、家からでなくなったんです。
でも、当時ちゃんと不登校の自分を気にかけてくれる友達はいたんです。でも気づかなかった。あまりにも陰キャになりたくなかったから、陽キャになりたくて、ちいさなやさしさを拾えなかった。

よくありそうでしょう。自分の恵まれた現状をうまく認識できず、悲劇のヒロインめいてひきこもる思春期の女の子。
だけどそれがあの時の私の全世界でした。学校に行けないだけで、人生が終わったと思っていました。進学校だったんですが、その中で上位にランクインできるほど、勉強には自信がありました。すごい大学に行かなきゃってずっと頑張っていました。それが、不登校って!と死にたい気持ちでした。

実際に死んでいたような気もします。
毎日7時に親に起こされたあと、キャベツだけを口にはこんでリビングのソファで横になって一日を過ごしました。重度の時は太陽が怖くて、布団にくるまってそのうえ日傘をさしていました。
体重は40キロをきっていました。今はあすけんで食事管理をしているほど食欲にあふれているのに、なんで当時はあんなにおなかがすかなかったんでしょうね。自殺観念は三大欲求をも殺すのでしょうか。
首も吊ろうとしました。でも怖くてできなかった。あの時びびってよかった。いま生きてるの、割と悪くないです。もちろん尽きない悩みばっかですけど。

あと一日休んだら留年だね、って時に無理やり行けるようになりました。人間の生存本能の底を感じましたね。あれだけ行きたくなくてしかたがなかった教室に入った瞬間頭がまっしろになって、何も考えずに動けるようになって、席の隣の子に笑って話しかけてた。やっぱり私は人づきあいが苦手ではないんだなと感じました。もちろん悩みすぎで不登校になるほどですから得意じゃないんだけど、それでもできないわけじゃない。

得意じゃないんだから、私は理想の陽キャにはなれないんだな。
この気づきをできたことで、いま割とうまく大学生をやれています。
私の性格上全員に好かれることなんてできないんだから、つらいなら大人数の集まりには行かない。自分がいちばんうまくやれるのは最大6人程度。
これに気づけたことを踏まえれば、高校時代に不登校になったのは結局そんなに悪いことじゃなかったのかなと思います。あとは進学校の女子高だったのも運がよかった。みんな自分のことしか考えていなかった。

私はよく泣いて、父親と担任の先生にすがっていました。彼らはそんな私に対して無条件にどうにかしようと動いてくれます。こう考えてみると、本当に恵まれた環境に身を置くことができました。(今でも中学と高校の先生のlineにはたまにメッセージを送っています。本当に大好きです)

このような環境を手に入れることができたのは、私自身が引き寄せたものだと父は言ってくれます。普段から私が他者に対してとっていた行動のおかげで、他者の心の中に、私に協力してあげようという気持ちがわいたのだと。

私はどこでもやっていける子だと、先生方は言ってくれました。私は人目も考えずに号泣する生徒だった(大学受験期は毎日職員室に通ってたんです。共通テスト後のリサーチ結果や私立の合格判定で、たくさんの先生がいる中、しょっちゅう声をあげて泣いていました)のですが、それは他者にSOSを求めることができる才能だとよくほめてくれました。

私は彼らが心の底から好きです。
言い換えると、自分に無条件にやさしさを提示してくれる存在に依存しています。一生彼らが私の人生において先導してくれる存在であることを望んでいます。切に。

私は父が好きです。それは父が私の人間としての理想像であるからであって、性欲では全くありません。父を恋愛的な気持ちでとらえることは、なにがあってもありえないです。
父も間違いなく私を好きです。ですが同じように、父が私を異性の対象として考えることは考えられません。

私はお世話になった先生方が好きです。その中に男性ももちろんいます。でも彼らが私の恋愛的対象になることはないのです。
その先生方もおそらく私を好きです。非常に熱心に勉強を教えてくれました。親身になって朝昼夜いつでも私の泣き言に耳を傾けてくれました。どんな要件であっても職員室で私を出迎えてくれました。ですが彼らが私をそういう目で見ることはありえないでしょう。法律云々のその前に、今までの彼らの授業から、教師としての信念をひどく私は感じているのです。

私は私のことを、庇護対象として慈愛の目で見つめてきてくれる人が大好きです。彼らは私に対して要求をほとんどしてこない。私が一般的な成長過程を経ることだけを望んでいてくれます。

ただ、そこらへんにいる”ふつうの男のひと”って私をどんなめでみるのかな?

女子高だったからかな。
正直、男性を意識する機会は大学に入るまで無かったんです。そりゃ人並みの女子高校生らしく恋愛や彼氏には興味があって、少女漫画の中にいるようなイケメンを恋焦がれてはいたんですが、だからといって特に何かがあるわけではありませんでした。進学校で、一日中勉強ばっかりだったし。文化祭で出会った男の子からインスタグラムで話しかけられたって、受験のことで頭がいっぱいだった。

でも今年の春ようやく志望の国立大学に合格して、憧れの大学生になってそれで共学の学校生活を過ごせるようになりました。きらっきらです。
髪もきれいに染め上げて、ちゅるちゅるのカラコンなんかもいれちゃって、カワイイカワイイお洋服なんかも着ちゃって。眉毛サロンに通った後にまつ毛パーマをしたら、もっと化粧が楽しくなりました。次はマツエクとジェルネイルをしたいです。

そして久しぶりの男の子との会話。

上記したとおりコミュニケーション能力が著しく低いわけではないので、男子とも普通に会話することはできます。多くのサークルの新歓とかに顔を出しました。
するとそこではさも当たり前かのようにインスタグラムの交換が始まるんです。そうするとたまにインスタのDMからメッセージが来て、それに返信して、ご飯に誘われて、ラインの交換をして…。

でも、あれほどまでに高校時代あこがれていた恋愛が、さっぱりピンとこない。話してても、デートしても、普通の男友達への好意を超えるなんてことがない。友達としてなら全然かまわない相手ばかりだ。でも恋愛的に考えるとするのならば、ぜんぜん、心がときめかないのだ。


その人がダメだったのかなって思ってほかの人とデートしたけれど、やっぱりイマイチぐっとこない。というか、いやなところが目に付く。

私だって女子友達といるときは言葉遣いが荒くなってしまう方だけれど、仮にもデート中ならクソ、とかバカ、を修飾語として使ってほしくない。
ルッキズムに縛られているわけじゃないけど、さすがに女の子と遊びに行くならひげは見えないようにしてほしいし、眉毛だって少しぐらいは整えてきてほしい。
完璧なエスコートを求めているわけじゃないけど、彼が指定したお店なら駅からのルートくらいは覚えてきてほしい。なんで私が調べる側にまわっちゃうの。
それでそのあと、ご飯を食べてお店を出て、人が多い通路で「次どこに行く?」って聞くのはやめてほしい。会計前に、お店の中で二人で決めればよかったじゃん。

これって私の男の子に求めるハードルが高すぎるからなのだろうか。

男の子とデートしている間、必ず私は父を思い出してしまいます。そして彼の行動を父と比較して、気が重くなってしまう。
「パパだったら絶対こんなこと言わないのに、しないのに」…。とんだ地雷物件女子ですよね。たいして話もしていないのにご飯を誘ってきてくれる大学の男の子たちはおそらく、私のこんな側面をまるで見通せていないのです。
彼らも高校時代は勉強にささげてきたのであろう、高学歴理系男子ばかり(私は文系)なので、ちょっと見た目に気を使っててすぐにインスタのDMに返信ができる女子が身近にいたら、良いなって思うんでしょうね。

私は父が今まで会った男性で一番好き。
それは、父が私のことを性的な対象として考えることがないからです。

でも、普通の男の子は普通の女の子に対して、普通は性的な対象として考えますよね?手をつなぎたいと思うし、キスもして、セックスも望みますよね?それは当たり前のことでしょう。(むしろ、出会って間もないのに父性を感じられるようなことがあったらそれはそれで、ものすごく怖い)

だから私は、当たり前のことに対しておびえているのです。
別に私は、上記のような性的行動を悪い行為であるととらえているわけでは全くありません。ツイッター(X)にいるフェミニストのように、それらを女性搾取だなんだとののしり上げて男性を貶める気は一切ないのです。

ただ、恋愛感情が全く分からないから、それを向けられる(実際に告白はあった)ということがこわい。
私は他人のことを人間的に好きになるのが割と早いから、告白されることそのものに嫌悪感を抱くことはありません。そのうえ彼氏彼女という関係に興味はあるのだから、別に付き合うこと自体はやぶさかではありません。付き合ってみたら好きになるかもしれないのだから。

でも、付き合ったらおそらく相手はいろいろなことをしたくなりますよね。それがこわいんです。私はまだ恋愛感情を抱けていないのだから、正直言ってしまえば手だってつなぐのは躊躇する。キスなんて考えたくもない。

だけど、これは最低なことだって私も理解はしているんです。交際している相手にさまざまな行為を求めることは、普通のことでしょう。恋愛感情を抱いていないからって言ったって、そんなの知ったことじゃありません。交際に対して同意したのですから、許可をだしてしかるべきなのでしょう。

でも、こわいよ。
友達ではいたい人から好意を向けられることがあっても、彼らとはキスもセックスも、なにひとつしたいと思えない。

父が男性として、一番理想の人です。私のことを世界で一番愛していてくれて、絶対に私に強要をしてくることがない。衝突こそあれど、彼の根底には愛があって、私の人格を否定してくることがありません。

私は幼稚園児でもないくせにいまだに父と結婚したいけれど、そこには絶対的なパラドックスが存在しています。父に性欲を感じることはあり得ないけれど、性欲の先にある「結婚」の相手は父のような人がいい。わがままなんでしょうね。

ときたま自分に性欲があるのかどうかがわかりません。恋愛漫画にはこの上なくときめきますし、二次創作が好きなので、一生作品内のキャラの恋愛を考えています。その世界では私が神なので、キャラにはさもあたりまえかのようにキスだってセックスだってさせます。めちゃくちゃ興奮して、ばかみたいにたぎります。

でもそれを実際に自分にあてはめてみたら、よくわからない。
べったりスキンシップをとるのが好きなので、友達に対してよく抱き着くんですが、確かにそれは一生やってたくなります。今のところ女の子にしかやっていないけれど、周囲に許されるのならば男子友達にもやりたい。大学で同じ部活の人であれば許されるかもしれないな。彼らの背中にセミのようにしがみついてキャッキャ騒ぎたいと思います。大好きな友達と体がものすごく密着すればするスキンシップほど、気分は楽しくなるし、心が満たされるなって感じる。
でも、それは別に友達間のことでいい。付き合わなくったって、私は友人が好きだ。スキンシップのために、わざわざ裸になる必要性も全く感じない。
世間では男女関係なくいろいろな交際関係の人がいて、きちんと恋人関係である人々もいればそうでない人々もいる。恋人もいて、かつセフレまで兼ね備えている人は、やはりセックスそのものに価値を感じているのだろうか。否定なんてしない。ただ彼らに話を聞きたい。

さみしいときは、少女漫画みたいに男性に抱きしめられたい。
それなら、その相手はパパでもいい。

大学生にもなったくせに、世間一般でいうところの高学歴になったくせに、いまだに自分のことが、よくわからない。不登校は抜け出せたし、いまの大学生活はそれなりに楽しいけれど、いまだって人間関係で苦しむことがあります。

私は一人で家にいるのが苦手だから、毎日何かしらの予定を作って人に会っているようにしています。だけどもちろん人には人の都合があるから、ときたま一人で過ごさなければならない一日だってあります。そんな日にもし、彼氏がいたらなってすごく思う。そういう日に会いたいのはパパではない。同年代の人に会って、何も考えないくらい笑ってばか騒ぎをしたい。

運命の人に会いたい。
でも、自分の求める運命の人なんているのだろうか。

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