怪文書(ジェンダー編)

結構前の話なんですが、Twitterで以下の記事が回ってきました。

記事を読んでもう「?」となりました。
「?」となった理由を自分なりに整理したいので怪文書を書こうと思います。2800字程度。

誰のための配慮か

答えは「性的少数者の人のため」でしょう。
今回のトイレの例で挙げれば、LGBTのT(Transgender)にあたる人たちでしょうか。
自分の性に違和感がある人が自認している性とは逆のトイレに入るというのは苦痛なんじゃないかと思います。そもそもTransgenderの人がそう思っているのか知りませんけど。

では今回のトイレの件について考えていきます。

男女の色分けを無くして同じ色にする、というものですね。
果たしてこれでTransegenderの人々はトイレに入る時の苦痛から解放されるでしょうか。

個人的には解放されないと思います。
色分けを無くしたところで、根本的な解決になっていないからです。
付いてれば男子トイレに入るしかないし、逆も然り。

なぜ根本的な解決になっていないか持論を述べていきます。

セックスとジェンダーをごっちゃにするな

トイレの色分けに関して言えば、セックス(生物学的な性別)とジェンダー(社会学的な性別)をごっちゃにしてしまっているのが一番の問題点でしょう。トイレというのはあくまでセックスで分けているのに、そこにジェンダーを持ち込んでいるからややこしくなっていると感じます。

セックスとジェンダーは共存しえないというのが僕の持論です。

仮に「ジェンダーフリートイレ」と称した、小便器を排除してその代わり個室をいくつも設置した男でも女でもTransgenderでも使えるようなトイレを作ったとします。個室しかないので誰かに直接見られることはないのでTransgenderの人でも入りやすくなるのではないでしょうか。果たしてそうなのか知りませんけど。とりあえず、ジェンダー的な問題は解決したとしましょう。

ではセックス的な問題は?

男は総じてスケベで一部は盗撮とか覗きとかそういう犯罪行為をするようなけしからん輩がいることは周知の事実かと思います。
もう分かるでしょう。ジェンダーフリートイレでは盗撮覗きが横行するのです。マイノリティに配慮して作ったはずのトイレが、マジョリティの尊厳を踏みにじるようなことになってしまいました。

セックスで分けているトイレにジェンダーを持ち込んだら"""""詰み"""""ました。

となると今回のトイレ色分け問題に関して、マイノリティの人々がトイレに入る時の抵抗感というのは変わらないし、マジョリティがトイレに入る時の視認性は低下するしで誰も幸せにならないのです。

幸せになったのは役所に「少数者への配慮が足りない!」って電話した「自分って性的少数者のことも考えられる高尚な人間だわ~」って思っている人だけでしょう。

デザイン的な観点(色分け編)

画像1

よくある感じの色分けです。(ペイントで3分)
ぱっと見分かりやすいですね。少なくとも僕はそう思います。

なぜ分かりやすいかと言えば、
・上が広いのが男、下が広いのが女
・青色が男、赤色が女
という固定観念に基づくデザインが身に染みついているからです。

画像2

ではこれはどうでしょう。

まあ分からなくはないかな、程度ですかね。
尿意、便意の限界のときにこの色分けされていないトイレに出くわしたら、僕はデザイナーを殴りに行くかもしれません。
しっかりと確認する、というひと手間が加わってしまいます。

画像3

今まで生きてきてこんな案内板を掲げているトイレに出くわしたことは一度もないですが、出くわしたらデザイナーを末代まで呪うレベルです。ピクトグラムを信じればいいのか、色を信じればいいのか分からないですよね。
昔にテレビ番組で、あべこべピクトグラムをトイレの入り口に掲げたらどうなるのかという実験をして、間違えて入って行ったりどちらに入ればいいのか分からない人が続出していた記憶があります。

デザイン的に「慣例から逸脱してはいけない」というのがあるそうです。慣例から逸脱すると混乱を招くからです。知らんけど。

トイレの色分けはセックスに基づいてしているというのに加えて、慣例的に男は青、女は赤となってしまっている以上、個人的には簡単に廃止していいものではないように思います。

Q. 色分けを無くしていいものとは

A. セックスで色を分ける必要がないもの。無意味なもの。

ジェンダーの考え方を取り入れてなんら問題が無いものとも言えそうです。

例えばランドセル。
男は青もしくは黒、女は赤というのが一般的でした。
少なくとも僕が小学校に通っていた15年くらい前はそうでした。

じゃあランドセルを色で分ける意味ありますか?という話。

意味無いですよね。セックス的にもデザイン的にも。

こういうものこそ色分けは不要だし、ジェンダーという考え方が活きてくるのではないでしょうか。黒色が好きな女の子がいたっていいし、ピンク色が好きな男の子がいたっていい。そういうことも考えていこうよ、というのがジェンダー的な考え方なのではないでしょうか。

余談なのですが、僕が通っていた中学校の通学カバンは男女共通だったのですが、ジャージは男女で色が分かれていました(男:青、女:えんじ色)。ですが、最近色が統一されたようです。

青色に。

なぜ青なんだ。もっとこう、あっただろう。紺とか黒とかグレーみたいな、ジャージの無難な色ランキング上位のやつが。恐らく色を変えるとなるとデザインから変えないといけなくて金がかかるからなんだろうけど。
余談終わり。

余談で話したとはいえ、ジャージの色の色分けも確かに不要ですよね。
あと最近の流れで言えば、制服で戸籍上男でもスカート選べたり、戸籍上女でもスラックスを選べる、というの。あれもいいことじゃないかなと思います。個人的には制服無くせば解決するじゃんとは思うんですけど。通っていた高校が制服なかったから余計にそう思います。

怪文書は最後に結論がくる

セックスの問題にジェンダーを持ち込むとろくなことにならない。これが結論。

ある議論が起きた時にそれがセックスの問題なのか、それともジェンダーの問題なのかをしっかり吟味していければいいですね。


一通り最後まで書いてから気づきました。
冒頭のリンク先記事のトイレの入り口の写真、女子トイレのピクトグラムスカートはいてるやんw
デザイン的には当然ですよね。慣例的にそうなってしまっているのですから。けどここで「や、スカートはかない女性だっていると思うんですよw」って言いだしたらキリがないですね。やはりトイレにジェンダーを持ち込むのはよくないと思いました。
ちなみに僕がペイントで3分で作ったタイプのピクトグラム、女とされている右のやつで下の方が広がっているのはスカートを表しているんじゃなくて、骨盤を表しているらしいですよ(諸説アリ)。左のやつで上が広がっているのは肩幅。


怪文書終わり。

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