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腰痛くても夜行バスに乗る

寝て起きれば目的地に着いているという便利な乗り物、夜行バスーー。しかし実際は、狭くて、長時間で、体の負担的にもけっこうハード。それでも僕はあえて夜行バスを選ぶことがある。安いだけじゃない、僕が夜行バスに乗る理由。

京都で学生時代を過ごした僕は、実家のある福島や友人のいる東京に行くのに、よく夜行バスにお世話になった。お金にシビアな大学生は新幹線に乗るなんてさらさら頭にもなく、夜行バスの一択だった。

平日を選べば、京都ー東京間を3000円もあれば移動できた。なんと新幹線の値段の5分の1! 新幹線に乗るなんてバカらしく思っていた。新幹線の快適さに気づくまでは……。

高速バスに乗ったことがある人はわかると思うが、移動中は、睡眠の妨げにならないよう窓のカーテンは閉め切られ、車内の照明は落とされる。

照明が落とされてからも、スマホをイジっている照明が付いてるのが分かるのだが、それもポツポツと消えていき、30分もすればどこかの席からか誰かの寝息が聞こえてくる。その日たまたま居合わせた人の寝息を聞くのは、誰かの生活を盗み聞きしているようで、なんか少し安心する。

その後、僕もどこかのタイミングで眠りにつく訳だが、寝位置が定まらなかったり、腰が痛くなってきたりで1時間もすれば目が覚める。それでも寝なきゃいけないから、どうにか体勢を変えては寝て、起きては寝てを繰り返す。もはや寝てるのか起きてるのかわからない状態。


そんな中、ふと窓の外を見ると、自分の乗っているバスがすごい勢いで走っているということに少し驚く。僕と同じように、入眠と覚醒を繰り返す数十名の乗客を乗せたバスは高速道路を爆速で飛ばす。その光景を少し俯瞰して想像すると、いかに滑稽な姿だろうと少し笑える。

それから、途中で何県かすらもわからないパーキングエリアで降ろされて、目を半開きのまま用を足してる自分にも笑ったりもする。

そんな日常とはかけ離れた空間に自分の身を置くことで、普段の生活ではたどり着くことのない思考にたどり着くことがある。脳裏の片隅の方にいた小学生時代の友人を思い出してみたり、自分の下側の歯並びについて考えたり……。

そんな思考は何かの役に立つわけではない。くだらないもの。でも、なんか脳みその片隅にあったんだと思う。そこでたとえば、昔の友人のことを思い出したのをきっかけに、その友人に連絡してみたらどうなるんだろう?って考えるとなんか少しワクワクする。

そうしたヒラメキのようなものが自分の人生の選択に何か意味をもたらしてくれるんじゃないかと思っている。

長時間狭い席で腰と首がバキバキになろうとも、僕が夜行バスに乗る最大の理由はそこなんだと思う。この記事を書こうと思ったのも、このヒラメキのうちのひとつ。

現在は、2023年7月15日AM3:27。愛知県宮石町を通過中。一体僕は何をしてるんだろうか。

社会学や文化人類学の力を借りて、世の中に生きづらさを感じている人・自殺したい人を救いたいと考えています。サポートしてくださったお金は、その目標を成し遂げるための勉強の資金にさせていただきます。