群馬の蕎麦屋

大学2年生の冬、友人と4人で旅行をした。行き先は群馬県の温泉地帯。身バレを避けたいので具体的な場所は書かないでおく。

朝7時。僕たちは上野駅で待ち合わせをした。さすがは僕の友人。全員15分前集合という偉業を平然と達成した。
少しでも暖かいところへ行こうと思い、やたらと長い下りエスカレーターで地下(?)ホームに降り立った。地下の方が寒かったことはさておき、30分ほどの待ち時間の後、由緒ある特急列車に乗った。
朝が早かったこともあり、友人は皆寝てしまった。僕は駅で待つ間にコーヒーを飲んでいたため、寝ようにも眠れず1人で車窓を眺めていた。
JRの路線図で名前だけ見たことがある駅を通るのはなかなか爽快だった。「ここが○○か〜 意外と立派な駅だな〜」なんて。
車窓からの眺めも見事なものだった。平凡な日本の景色でも、初めて見る時は観光地のように新鮮だ。
高崎だったか前橋だったかは忘れたが、都市部を抜けてしばらく進むと途端に大自然が姿を現した。雪の積もる山々を、複雑に縫うように流れる清流の数々。それをさらに上から縫うように進む列車の中に、僕はいた。そう俯瞰して自分を捉えると、微かな興奮を覚えた。

そうして結局一睡もすることなく、僕は友人たちと共に群馬県のとある駅に降り立った。ホームに降りた瞬間、冷たく澄んだ空気が「This is 群馬」と脳裏に語りかけた。山間部にある割には周囲に高い山がなく、遙か遠くの空を見渡せた。まるで北海道にいるかのような錯覚を覚えた。

駅舎は、一階建ではあるがなかなかの規模を誇り、綺麗だった。知る人ぞ知る有名な観光地らしく、記念スタンプやら時刻表やらが大量に売られていた。

駅前にはロータリーがあり、低めのビルが立ち並ぶ。なにこれ。都内の駅とあんまり変わらないじゃん。拍子抜けした。
しかし、ジャンプして少し遠くに目線を投げた刹那、別世界が見えた。見事なまでに「山」だった。他には何もない。一面の山々。一面の山々。微かなる麦笛。一面の山々。
地方には良くある風景なのかもしれないが、都会育ちの僕にとって、この絵面はとても魅力的だった。一体、街と山の境目はどこにあるのだろう。何を根拠に境目とするのだろう。なぜそこが境目となっているのだろう。そんなことをボンヤリと考えながら、旅館の送迎バスが来るまで友人たちと歩き回った。

道に迷いヒィヒィ言いながら、ほうぼうの体で駅に戻ったのはそれから30分後のことであった。初めての土地をGoogleマップ無しで歩いたのが間違いだった。地方都市ならではの抜け道や裏道の多さに、4人全員で混乱したのだった。

ところで、30分を消費したがまだバスは来ない。当然である。僕たちは1日2本のバスに乗り遅れることを恐れるあまり、バス到着の3時間前に駅に着くスケジュールを立て、正確に遂行していたのだ。

暇だ。疲れた。歩きたくない。何をしよう。10分ほど話し合っているうちに、僕たちは気づいた。
まだ11時だというのに、思いもよらぬ彷徨のために腹が空いていたのだ。どこかで昼飯を食べよう。それがいいよそれがいいよ。スマホのバッテリーに最も余裕がある僕が店を調べた。(97%)
ところが、この駅の周辺にあるのは似たような店ばかり。どこもかしこもフレンドリーだの安価だの美味しいだので、逆に不安になる。

僕は「せっかく旅行に来てチェーン店に入るのも勿体ないし、どこかしらの個人店に入ろう」と意地になった。Googleで粘り強く検索し、総合的に考えたところ、(駅から見て)ロータリーの左側に佇む古風な蕎麦屋がベストとの結論に至った。ここにしよう。圧倒的即決。友人たちも「異議なし」だった。

ここで一つ重要なポイント。実を言うと、僕は蕎麦が好きではなかった。この時は深刻なほど空腹だったのと、「蕎麦なら不味いことはないだろう」と考えたのとで、妥協した次第である。カレーやラーメンよりは博打要素が小さい。

僕らは駆け込むように店に入った。外から見ると小ぶりなその店は、中に入ると思いのほか大きかった。
愛想の良いおばさんが「あら、旅行ですか〜?」と笑顔で出迎えてくれた。第一印象最高である。席も自由に選ばせてくれた。柔らかそうな座敷席もあったが高齢者ばかり座っていたので、若い僕たちは上品な漆黒のテーブル席を選んだ。

さて、何にしよう。
メニューを見たところ、親子丼などが付いてくる定食系が多い。どれも美味しそうだ。友人たちは全員定食系を注文した。
しかし僕は、ざる蕎麦を単体で注文した。理由は未だに分からない。空腹だったし、外は寒いし、貧乏学生だしで、量が多く温かい料理が付いてくる定食系を選ぶのが自然だ。にもかかわらず、なぜか僕は単体のざる蕎麦を選んだ。

僕の注文が最もシンプルだったので、真っ先に運ばれてきた。その料理を見て驚いた。
「意外に…! 量が多いぞ…!」
なにせ値段がお手頃なのであまり期待していなかったのだか、想像していた量の1.5倍はあった。これなら十分満腹になるだろう。一安心。

友人たちに「先に食べていいよ」と勧められたので、遠慮なく蕎麦を口に運んだ。

「おほぉ〜〜〜」

今でも覚えている。一口食べた時の自分の奇妙なリアクションを。
こんなに美味しいめんつゆは初めてだ。いや待てよ、蕎麦も美味しい。めんつゆを付けなくても全然イケる。それになんだこのコシは。柔らかくて食べやすいのに、ものすごくコシが強い。矛盾しているようで矛盾していない。これぞ職人技だ。とても美味しい。

「これ凄いわ… こんなに旨い蕎麦を食べたのは初めてだ…」

しみじみと語る僕を友人たちは笑った。「それはミシュランの星を獲得した店で言う感想だぞ」と。

だが5分後、彼らも僕と同じリアクションをとることになる。

「確かにこれ旨いわ。いい店選んだね」

親子丼だったかカツ丼だったか失念してしまったが、セットで付いてくる丼モノも美味しかったらしい。彼らは僕以上に感動していた。やれやれ。

食べ終わったタイミングで蕎麦湯を出してもらった。これがまた旨いのなんの。「しょせん蕎麦の茹で汁」とナメてはいけない。適度に塩気があって飲みやすく、しかしまろやかなコクがあり、品のある深い余韻が残る贅沢なスープだ。おかわりまでしてしまった。

ああ、美味しかった。全てが美味しかった。店員さんの接客も「学生4人にそこまで…」と申し訳なくなるほど丁寧だった。店内の雰囲気も品があって素敵だった。
蕎麦があまり好きでなかった僕は、この日を境に蕎麦が大好きになった。嗜好が少しだけ変容を遂げた1日だった。


学生が「安い」と感じる値段の蕎麦である。本物の蕎麦好きを満足させるクオリティかどうかは、正直わからない。僕があそこまで感動したのは空腹だったからかもしれない。友人と楽しく話しながら食べたからかもしれない。
しかし僕は、電光石火で選んだ庶民的な店のあの蕎麦の味を、一生忘れないだろう。穏やかで安心感のある空気に包まれて過ごした幸せな時間を、一生懐かしく想い続けるだろう。

東京都から群馬県まではさほど遠くない。とはいえ、気軽に通うほど近くもない。あの古き良き雰囲気に身を任せて"ざる蕎麦"を味わえるのは、いつの日になるだろうか。もしかしたら一生実現しないかもしれない。
だからせめて、多くの人とこの店を共有したい。僕が行けなくても、近くを立ち寄った人がこの素晴らしい店を選べるように。このnoteを書いたのはそれが目的だ。

最後に、ここまで読んでくれた方々に店名をお伝えしようと思う。それでは。

林屋食堂 https://g.co/kgs/P5xDuS

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