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体育の授業で友人の山田にサッカーの醍醐味を知ってもらった思い出 【後編】

山田のプレーの変貌

たった10分間のやりとりで、彼の動きは目に見えて変わった。
守備時は味方の隙を埋め、攻撃時は相手の隙を突く。常に周りを見渡し、自分の立ち位置を修正する。賢いサッカー選手の動きができていた。

確かにボールは奪えないし、まともにボールを蹴ることもできていない。相手選手にパスしてしまうことも何度かあった。ボールを持った時は、(言っちゃ悪いが)最低限のプレーに終始していた。
しかし前述したとおり、サッカーというスポーツは、ボールを持っていない時の動き(オフザボール)がとても大切なのである。ボールを持った時に良いプレーをできなくても、頭を使って動き回る彼はオフザボールに優れており、それだけで何度も味方チームを救い、相手チームを苦しめていた。

そうして楽しい時間はあっという間に過ぎた。僕自身も倒れそうになるまで全力でプレーした。僕は守備の選手(ディフェンダー)なのだが、相手は素人だし行けるだろうと果敢にドリブルした結果、足を引っ掛けられてド派手に転倒した。周囲からは「あーあ、ディフェンダーなのに調子に乗るから…」と笑われた。情けないことに、この日の僕の最大のハイライトはこのシーンだった。

授業後、山田は制服に着替えながら爽やかに語った。

「活躍できたかわからないけど、チームの邪魔者にはならなかった気がする。全試合勝てたし。下手でも貢献できるんだねえ。サンキューな。」

「よかったよ。いい動きをしてた。相手選手からしたらマジでウザかったと思うし、それは味方チームに貢献していたってことでもある。」

僕は膝に絆創膏を貼りながら彼を称えた。彼の動きが別物になったことと、彼のチームの勝率が高まったことは、決して無関係ではない。そこには確かな因果関係があった。(にしても、やっぱ転ぶと痛いわ。「サッカー選手はすぐ痛がる!」とかふざけんなし。極端な例を除けばマジで痛いんだよ。)

それと、彼は謙遜して自分を「下手」と言ったが、下手ではない。サッカーの上手い下手を決めるのはテクニックやドリブルだけではないからだ。最も大切なのは頭脳である。
プロレベルで頭脳を武器にするのは難しいが、素人ならば頭脳を使えてさえいれば良い。頭脳を使えていればその時点で下手ではない。少なくとも、頭をろくに使わずに感覚的にプレーして「サッカーはバカでもできるスポーツ」と笑う人よりはずっと上手だ。サッカーの肝をちゃんと理解できているのだから。

この日、山田はサッカーが上手くなった。


サッカーの魅力その1 「奥が深い」

彼との懐かしい思い出はここまで。ここからは、思い出に浸るうちに語りたくなったサッカーの魅力を書いていく。誰にでも理解できる内容になっているので、サッカーに興味がない人にも読んでほしい。必ずや新たな気づきがあると思う。

サッカーは、実に奥が深いスポーツだ。なんとなく楽しめる入り口の広さは大きな魅力だが、プロレベルになると難解な戦術や理論が多数あり、奥が深すぎて見えないくらいには深くなる。

世界中に様々な監督がいて、皆に強い個性と理論がある。グアルディオラのように、頻繁に先進的な理論を生み出してサッカー界に革命を起こす人物もいる。(詳しくは僕のツイッターのプロフィールに固定されている「サッカー監督まとめ」を参照のこと)
選手も多種多様だ。ゴールキーパーよりも走行距離の短い選手が世界No. 1選手(リオネル・メッシ)だし、リフティングを10回もできない選手が世界王者のキャプテンだったり(ディディエ・デシャン)、足の非常に遅い選手が世界王者の攻撃の軸だったり(オリビエ・ジルー)、左足でしかボールを触らない選手が世界最高クラスのドリブラーだったり(アリエン・ロッベン)、本当は足が遅いのに緩急の付け方が絶妙ゆえに俊足に見える選手がいたり(アンドレス・イニエスタ)する。

技術がないから、スタミナがないから、フィジカルが弱いから、スピードが遅いから、下手…ということはないのだ。サッカー界にはそれを証明する多くのスター選手がいる。みんな違って、みんないい。
余談だが、FCバルセロナに所属するドイツ代表ゴールキーパーのテア・シュテーゲンは、「サッカーのことは全然わからない。選手の名前も全然知らない」と語っている。本当にいろいろなスター選手がいるものだ。

サッカーの魅力その2 「個性を重視する」

サッカーは奥が深いと同時に、個性を重視するスポーツでもある。責任は皆ほぼ平等だが、役割はそれぞれ異なり、それぞれ自分の特長を発揮することができる。仮に他選手と全く同じ役割を求められても、全く同じプレーをすることなどあり得ない(不可能)。嫌でも異なる個性を発揮することになり、チームを別物にすることができる。
一見プレースタイルが皆同じに見えるゴールキーパーも、近年は個性豊かだ。守り方の多様性は言わずもがな、積極的に前に出てパスを駆使して攻撃参加する選手(ノイアーやエデルソン)も増えてきている。

選手たちの個性が複雑に絡み合い、多種多様な戦い方が生まれる。プロレベルになれば戦術の縛りが強くなるが、その中でも個性を出すことは変わらず求められる。
これが重要なのだ。選手たちの個性を活かしてチームを強くする。サッカーに限ったことではないが、サッカーの醍醐味の1つだと思う。

プロでもそうなのだから、学校の授業でのサッカーや少年サッカーが「個性を潰す場」であってはならない。「個性を活かす場」であるべきだ。

それはプロ監督の仕事である。しかし、監督の力だけで実現できるものでもない。選手たちが自分の思いをぶつけ合って強化策を考えることも重要だ。選手は監督の言いなりになるロボットではない。時には監督とも対立し、舌戦を繰り広げる。
(ちなみに、選手の個性を活かすことや選手との対話に関して一流とされるのは、カルロ・アンチェロッティという監督だ。彼はビジネス界でも優秀なマネージャーになっていただろうと言われている。僕が最も好きな監督に彼を挙げるのも、これが理由である)

また、体育のサッカーには監督などいない。ゆえに、選手たちが自由に個性を発揮し、チームを強くすることができない。良くも悪くも、好きにできるのである。
チームのリーダーはチームメイトの個性を活かすことを、チームメイトたちは自分の個性を把握して存分に発揮することを、それぞれしてみたら面白いと思う。きっと、サッカーの醍醐味を味わえるはずだ。

「技術がない=下手 ではない。選手の数に応じてそれぞれの良さがあり、その個性を上手く活かせばチームを自在に強くできる」。そんなサッカーの醍醐味を、学校のサッカーを通じて少しでも知ってもらえたらな、と僕は思っている。

サッカーを楽しむ手段の一つになれば

もっとも、これは決して簡単ではないし、サッカーの醍醐味になど興味ないわ!という人も多いだろう。でも、どうせやるならサッカーを楽しんでほしいし、その楽しみ方の1つとして、「サッカーの醍醐味に触れる」なんて知的なものがあっても良いんじゃないかなと思う次第である。

そう、何よりも大切なのは、楽しむことだ。プロになるとなかなか難しいようで、楽しみながらプレーしているロナウジーニョのような存在が異質になるが、アマチュアレベルなら気軽に楽しむことができる。
サッカーが苦手な人も、前編に書いたプレーのコツを実践し、それぞれの個性が集まって一つのチームになることを意識すれば、以前よりもサッカーを楽しめるかもしれない。陰ながら期待している。

あの夏、体育が原因でサッカー嫌いになっていた友人の山田に、サッカーの醍醐味の一部を伝えられた自分が少しだけ誇らしい。よくやった、当時の自分。
あれを機に山田のサッカーに対する嫌悪感は薄れ、彼は徐々にサッカーを好きになっていった。嫌いから好きへの180度転換だ。
今では、僕と共にサッカーを観に行くことも多い。彼と観に行った試合は、今のところ全戦全勝だ。もしかしたら彼には、勝利を呼び込む神通力があるのかもしれない。

あの10分間のやりとりは、僕の歴史に残るファインプレーだったと思う。

お金に余裕のある方はもし良かったら。本の購入に充てます。