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Piranesi

一つ前に読んだUprootedつながりでTed Chiangの”Tower of Babylon”を読む。無限に続く塔というのは古いアイデアなのか、彼の発明なのか。子どもの頃に何かの短編で無限に続く塔で、時折人が落ちてきたり、長い長い龍の胴体が数週間かけてゆっくり下降していくシーンがあったのをほんのり覚えている。あれも名前が思い出せない。

無限の迷宮つながりで、さらにSusanna Clarkeの"Piranesi"に手を出す。そろそろ多少の語彙力・読解力がいるような小説にも気軽に手を出せるようになってきてちょっとうれしい。最初のうちは幻想小説と思って読んでいたが、16人目が出てきたあたりから様相が変わり、前提条件が崩壊し始める。気が付くと英国学園サスペンスものになって、救出劇があって完結する。

いや、それでも結局これはプロットのためにある話ではない。果てのない海に揺蕩っている無限のローマ回廊のためにある話だし、『ローマ』に仮託して空想の迷宮都市を作ったGiovanni Battista Piranesiへのオマージュだ。

あくまで、登場人物が出てくるのは読者に視点を与えるためだし、そして彼らが現実世界を踏まえた語彙と常識をもって対話を行うのは、読者に世界のことを上手く伝えるために過ぎない。登場人物もその相互関係も、果てには『世界』と現実世界を繋ぐ道筋の見つけ方や世界の成り立ちも、すべては作者と読者のいる場所とこの『世界』を繋ぎ、小説として成立させるための方便だ。主役は世界観そのものなのだ。読んでいるときに感じるのは、通いなれた博物館の常設展で、いつもながらに素晴らしい彫刻を眺めているとき、唐突に洪水警報が出て、一晩彫刻の間で過ごすことになった時の特別感だ。

他に例えるなら、何の気なしに、小さな子どもと話していて、
「頭の中に島を作っているの」
「どんな島?」
「夏休みに行ったところみたいに海があって、白い建物が沢山あって、鳥がいるの」
「すてきだね」
「じゃあ、連れてってあげる」
と言われた瞬間だけ、そこはかとない形で存在するものを、なるべくそのままの姿と印象を変えないままで共有可能な物語に落とし込む試みという感じだ。こういうのもいいなあ。ちょうど夏だし、明日は私も海へ行こうか。

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