日本人一家のケンブリッジ滞在記

藤原正彦の手記をさらっと一周読む。いかにも箱庭的な大学内の人間関係。ノーベル賞を取っていても学内政治力が低いと傍流になって居づらくなるものなのか。それはノーベル賞受賞者が犇めいている環境でしかありえないことだろう。隣人研究者たちの人柄はいかにも「いそう」な雰囲気。特別イギリスだから、というものとしては、一日に2回ティータイムがあるのはいい。スタンドアロンでずっとやっていたいタイプではなく、周囲と適度に交流して切磋琢磨するほうが合っているタイプなら、イギリス式の恩恵は大きいかもしれない。ナンシーホプキンスの自伝での研究室選びの話でも、そのような文化が合うあわないで中途で研究室を変えるくだりがあったな。
論文を書かずに周囲の研究者を次々に訪問して雑談がてらアイデアを振りまいていく研究者、これはいそうでいないかもしれない。もはやpublish or perishのルール下で絶滅したのか。

大学の教育制度の最大の特徴はやはりsupervisionであるとのこと。週に一時間であっても一流の研究者と向かい合って直面している問題について話し、進捗報告する時間は何物にも代えがたいのだろう。Postgraduateの学生であっても、supervisionを受けることはできるらしいので、かなり楽しみである。そのために分野の研究者が多いカレッジを選んだのだから。この手記が書かれた30年前当時、Tompkins tableでの上位を目指してpushyだった某collegeは、今では程よい中の上に落ち着いているようだ。数百年通して貧しいカレッジであり続けたがためにかえって古い建築物や家具がそのまま残っているのも、いかにもケンブリッジの学寮らしい魅力があるとして、近年ではかえって多くの学生を引き付けている様子。なお、今一番pushyな学寮はTrinityと常に一位争いをしている某寮であるとの噂。

帯同した家族の現地移住の悩みはいかにも昔ながらの日本人帯同家族という形で新鮮味はない。研究に専念する夫と、その父を最大限補助し邪魔にならないようにする妻、現地の小学校になじめず苦しむ息子、と思ってよんでいた。最後のほうで妻の皮肉に、おや、と思って妻の経歴を調べると、この方も単なる主婦ではなく本人も翻訳家・心理学の研究者である方が自身のキャリアを犠牲にして帯同していたのだった。次は「夫の悪夢」のほうを読むと、こちらの手記の裏側が見られるだろうか。

ちょっとそちらの方も摘まみ読みして、そこまで見えている世界が違っても仲の良い夫妻であるというのは面白いような、ちょっと不可解なような。社会正義が今とは違うところにある時代に成立した「譲り合い」と「均衡」だから、今から見ると不思議なんだろう。より時代をさかのぼった織田作之助の夫婦善哉と比べると、また違う見え方もするし。

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