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「百年の孤独」を探した八年間

子どもの頃から、何となく「隅っこ」めいた場所が好きだった。団地と団地の間の細い抜け道が、棕櫚の樹の陰にかかるところで、一瞬立ち止まって、ここは砂漠の中のオアシスなんだと想像する。メリーゴーラウンドや電車をひたすら目で追って、しまいには動いているのがあちらではなく、私の足の下の地面であるように錯覚し始める。前に訪れた場所を、丁寧にちょうど一年通らないようにして、程よく忘れたところでもう一度、季節の彼岸花が咲いているのを見に行く。私を驚かすために準備している友達に気づかないふりをするように、歩いていく最中もなるべくどんな景色だったか思い出さず、一面の彼岸花を再発見し、偶発性の驚きか、その幻のようなものを再現する。

そんな隅っこが一番たくさん詰まっている場所が本であって、本がたくさんある図書館だった。本を楽しむためというよりも、名前の付けられないものに名前を付けてそこに有らしめ、人と共有する感覚を得るために、私は本を読んでいた。

小学校は大嫌いだったし、怖かったけど、たまに解かせられる国語の問題に、読んだことのない小説が出てくるのだけは好きだった。今思うと、本来は中学受験する子用の問題を流用していたのだと思う。設問の一つは、小説の一節を題材に切り出したものだった。古い町の倉庫の中で、古い手記を見つける。少年がページを繰るたびに、一枚一枚世界がはがれて、風に舞い散る。読み終わる頃にはあたりには何も残らない。

その時は変なものを読んでしまった、と思って、最後に書かれていたはずの著者の名前を憶えなかった。その頃の私は、小説の著者というものが存在するイメージが付いておらず、小説は、小説として急にどこかから現われて図書館の棚に収まるものとして何となく納得していた。そのまま忘れていたつもりだが、伏流水のように、どこかにその小説の語り口や、目に浮かびあがった情景が記憶に残っていたのだった。

私が歩いて行ける範囲には図書館が四軒あった。地図もなかったが、一度父の自転車の後ろに乗って行ったあとは、私はどの図書館にも一人で行くことができたし、その間で通る道を毎回変えて、前に見たことがない景色を探検するのも好きだった。斜面一面に豆腐のような四階建ての団地のある山を下りて、沼地の脇の未舗装路を通り(後年女の子が長年監禁されていたことが分かった場所だ)、古い町の焼き板塀の家屋の間のグネグネ曲がる迷路のような道で、知らない街で迷子になった気持ちを楽しんでから、その向こうにある公民館の中の図書館でゆっくり本を選ぶのが一番好きだった。海外の翻訳本が一等最初に入る場所だったのだ。同時に、時代の変化に耐えないような、出て読まれては忘れられていく本が吹きだまる場所でもあったけれど。

まだ、世の中の仕組みが良くわかっていなかった私は、図書館は本が無くなったり急に新しく現れたりする不思議な空間だと理解していた。夏に海水浴場に行ったときに見つかる(または見つからない)綺麗な貝殻のようなものだ。私は良く、本の向こう側にある見知らぬ(またはもう忘れてしまった)景色を探すようにして、本を選んでいた。ふとあの「本」のことを思い出した日から、探すものに、砂嵐の中の暗い倉庫で本がはためいて、読み進むほどに景色が瓦解していくあの光景が加わった。

と言っても、いつも、同じ本を探していたわけではない、最初に手に取った本が「水」を主題にしていた日は、あわせて同じような主題の本を選んだし、色合いをそろえるように何冊かを選んだ時もあった。ただ、あの本はいつか見つかるだろう、と思っていた。その「本」は新たな本を開くときに、常に影のように視野のはずれに留まっていた。高校に上がる頃には、記憶も薄れて、どことも知れない沙漠の中で本が羽ばたくように風にあおられ、舞い上がっていくようなイメージだけが残っていた。

手がかりを見つけたのは、今度は高校の教科書だった。『光は水のよう』という掌編だったが、翻訳の調子や、文体、現実と非現実のあわいがすっと溶けて眩暈を覚える感覚に既視感があったのだった。

高校には、広い広い図書館があった。少女が好むようなライトノベルがすし詰めになった棚もあったし、星野道夫の写真集のような大判の本が詰まっている区画もあった。宮部みゆきや京極夏彦と出会ったのも、ゲーテやプルーストの邦語訳を始めて読んだのもそこだった。ゲーテの色彩論を借りようとしている私に声をかけてくれた司書さんと時折話すようになり、初めての読書友達ができたのもその図書館だった。

私は通いなれた翻訳書の区画に行って、目の高さにあってずっと素通りしていたマルケスの全集の前に立った。何となく、大江健三郎の小説のようなグロテスクさや男性側から見た性愛のあからさまさが詰まっているようで、まだ読みたくなくて手に取らなかった作家だった。これまでは何となく汗をかいているように思えた表紙は、手に取ると案外軽い質感で違和感なく開くことができた。『十二の遍歴の物語』だった。

本の半ばで開いて、それらしいページをパラパラ探すことはしなかった。物語を読むときには絶対にそれはしてはいけないと、私は自分の中で決め込んでいた。私は、今となっては確立された儀式のように最初のページを開き、そこから一行一行読み始めた。読めば読むほど、この作家だ、という直感が確信に代わっていった。一面の雪原に一滴一滴、赤い血が落ちる光景の向こうに、飛行機の中で眠る美人の到着地に、沙漠の中で本を読む少年が待っていて、そしてその短編が終わるたびに蜃気楼のように遠ざかっていった。

次に手に取ったのが『百年の孤独』だった。読み始めてすぐ、この本に違いない、と直感した。私の記憶の中の舞台は一面の砂漠の中のオアシスであったが、本来の舞台はラテンアメリカの、小学校の頃の私の脳内地図にはイメージすらない地域だった。『百年の孤独』と、写真集の区画のラテンアメリカの旅や生活の写真を行き来しながら3日かけてゆっくりと読んだ。読むことそのものを楽しみつつも、物語のどこかに、きっと蜃気楼のように解け去る地点があるのだ、という確信が読めば読むほど強まった。奇妙な読書体験だった。ネタバレ的に、確実にこうなるとわかっていたわけではなく、信頼できないけれど妙に真実味のある予言者の言を受けていたようなものだ。あまりに力の強い物語に巻き込まれ、ただ怒涛のような光景に眩暈しながら読んでいた。

気が付くと、もう数十ページしか残っておらず、それでもまだあのシーンには到達していなかった。ふと顔をあげて、ここで読むのを止めようかと思った。窓の外では日が暮れかかって、秀吉の廟がある山の上のほうと、そのもっと上に浮かぶ雲だけが夕焼けて、それ以外はすでに深く青紫に染まっていた。一瞬だけ私は初夏の夕暮れ時の京都の東山にいて、そしてまた崩壊寸前のマコンドに戻った。

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