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太陽広場

小さい頃の記憶で、大きな公園の太陽広場というところへ遊びに行った時、恐竜の卵を拾った。
3歳頃かそこら辺の記憶である。恐竜の卵だと思っていたので、暖めていたら孵化するかもと思って、しばらく一緒に寝ていた。
すぐに、それはただのまんまるい石だと気づくが、愛着が湧いてしまい、未だに持っていて、たまに撫でる。
小さい頃の私にとっては宝物だったし、今は思い出の品だ。

こないだ久しぶりに太陽広場に行ってみた。
このまんまるい石を何十年かぶりに里帰りさせるため。
意味わからない事言ってはいるが、要はこのnoteの記事に写真を載せたいので撮影しに行っただけである。

東京の山奥の木造平家の古い家に猫と居て、春になるといも虫が大量発生し、百日紅の木が庭にあり、たまに蛇が出て、珍しく汲み取り式のボットン便所だった家に住んでいた。
東京に住んでおきながら、なかなか自然豊かな場所だったと思う。
ターザンごっこと称して、大きな木にロープをかけて少し大きめの崖から飛び降りたりして遊んでいた。

小学2年生くらいまで、私は風を操れる能力を持っていると信じ込んでいた。心の中で「風よ吹け!」と唱えると風が吹き始める。風よ、と呼び掛けると風は私に応えてくれていたように思っていた。大体その年頃の子は、何かしら自分が特別だと思っていたのではなかろうか。私だけか。まぁ、どっちでも良いんだけど。

小さい頃から絵をよく描いていた。絵を描くと上手だねと褒めてもらえるからだった。確かに、小さい子が描く絵というのはとても面白い。何にも囚われず、真っ直ぐ描けるからか、色もめちゃくちゃだし何描いてるかわからないけど、魅力的に見える。素敵で、素直で、羨ましい。

中学生くらいまでは、絵が上手いと言えば私!みたいに思っていたりもした。今思うとめちゃ恥ずかしい。器用貧乏なタチである。

高校は美術コースがある学校へ進むが、そこまでガチではなかったので、そこでも私は上手いと評価してもらっていた。

無事に、美術大学へ進学が決まり、意気揚々と通い始めたが、そこで自分の得意分野だった絵のレベルがいかに平凡だったか、初めて思い知った。
最初は、「みんなすごい個性強くてかっこいい絵描いてすげえ!」「これが大学か!」と新鮮に思えていたが、徐々にそれもしんどくなってくる。
描いても描いても正解がわからなくなってくる。ゴールが見えない。
周りの、いかにも美大生って人は訴えたいことや自己表現がしっかり言語化できて絵や作品に出しているが、私はただ「描ければいいや」で止まってしまっていた。
だって、描いてるだけで楽しいし、それを見て褒めてもらえたらラッキーくらいにしか思っていないし、私の作品で世の中を変えてやるという気概もなく。

多分ここが、アーティストになるかなれないかの境目だったように当時は思っていた。


絵や芸術作品に限らず、魅力的なものは必ずしも、説明や理由が必要じゃなかったりする。
人を魅了するものは、説明がなくても輝いて見えたりする。
更に、そのものの事を知りたくなって、バックグラウンドを聞いて、
より好きになる。
それに気付くのはもっともっと後だった。学生時代には気付けなかった。
「絵を描いて生活する」という事をあまり深く考えてこなかった。

何かを生み出すのに理由は必ずしも必要ではないのかもしれない。湧き上がるものが出てきたってことだけかもしれない。
だけど、目の前で起きたこと、遠い国で起きたこと、昔起きたこと等から想起して生み出されることもある。
何か発信したいという気持ちは、何故だかいつの間にかできている。
作り続ける、やり遂げる、眺めて形になったそれを見つめる。
満足することもあれば、不思議な気持ちになったりする。
もちろん、不満足な時もある。

アーティストになりたかったけど、私にはそこまで動く理由がなかった。
ピカソは戦争の悲しさを嘆いてゲルニカを作り上げたけど、私にはゲルニカが描けない。
と思うけど、別にゲルニカじゃなくても絵は描けるので、
やっぱ描きたい時に描くのが一番だなぁという当たり前のことも、歳を重ねてきてわかってきた。

それに気付けたのはラッキーとも思える。
気付けなかった場合もあるから。


五感を刺激するのはいつまでも必要だと思う。
五感を刺激すると何か満たされる。心が満たされる、という感覚なのか、体の中に何かしらバッテリーみたいなのが在って、それが充電される感覚。
満たされると、頭の中で自分の好きなものへのアンテナの調子が良くなる感覚。
そして、五感を刺激する質を高めるのも大事で、それがちょっと高くなると満たされる感覚も高くなるし、何より、ホッとするように思う。

コンセントが絡まった状態だとうまく掃除ができない。埃が溜まるだけで、汚くなっていく。
とりあえず、絡まったものは綺麗に解いてみてから掃除する。
(とは言え、私の部屋はとてもじゃないが綺麗とは言えないので、この例えは言ってみたいだけの言葉並べではある。)

コンセントを解いて綺麗にしたら、シンプルに使える。
考え込むことも、余計な言葉ばかり並べてしまうのも、もう30何年間やってきちゃったことなので、今更だが出来たらなるべくシンプルに考えて生きていきたい。
ただ、シンプルに、と考えながら重要なことをすっ飛ばす癖もあるので、
そこは慎重になりながら。
シンプルイズベスト。
ベストな状態に自分を持っていく努力は、常に気にかけていきたい。

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