「教育で、不可能を可能に」本気で死を考えた17歳から新規事業の立ち上げまでの話
2020年10月放送の『ガイアの夜明け』にて、一際目をひいたあの男の子を覚えていますか。
テレ東プラスより引用:ガイアの夜明け
https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/business/entry/2020/022600.html
彼の名前は、佐藤凌(以下:さむ)君。現在20歳です。彼が株式会社ハッシャダイの『ヤンキーインターン』に参加した理由も、実は現ハッシャダイソーシャル代表理事の勝山恵一との出会いがきっかけ。
新企画「Choose Your Life Story」では、ハッシャダイソーシャルに出会って一歩踏み出した若者たちのリアルな声を届けます。
「迷惑をかけてはいけない」部屋の隅っこでうずくまっていた母の姿。
僕が生まれた街は、どこを見渡しても山、山、山。そんな自然豊かで、小さな街です。そして僕の生まれた家庭は、お父さんがめったに家に帰ってこない家庭でした。だからお父さんとの思い出は片手で数えられるぐらいです。
でも、「悲しい」なんて思っていませんでした。お母さんのことが大好きだったからです。でも、お母さんを頼ることはほぼありませんでした。女手一つで兄と僕を育て上げることへのプレッシャー、仕事での疲労、ホッと一息つくことすらできない周りの環境。きっと僕は幼いながらにそんなお母さんの気持ちを察していたんだと思います。
ある日。僕は、部屋の隅っこでうずくまっていたお母さんの姿を見ました。お母さんは、僕たち兄弟がいることに気づくと、フラフラの足取りでご飯を作るために立ち上がってくれた。大好きな人がボロボロになっていく姿を目の当たりにした僕は「もう自分のことで、迷惑をかけてはいけない。」と思うようになりました。
僕は、いつの間にか身近な人にも悩みを相談できなくなっていました。そんなわけで、小学校に入るときには、既にいつも周りの目を気にし、マイナスな感情をひとりで貯めこむ子でした。
「教師」の夢を阻む壁、順風満帆の毎日から不登校へ。
そんな僕でも小さい頃から「教師」になりたいという夢がありました。もともと人に教えることが好きだったからです。
そして決定的な出来事は、中学校の担任の先生との出会いです。その先生は、負けず嫌いな僕が思いっきり反抗した時でも、泣きながら電話をかけてくれるような先生でした。今まで”愛された”という感覚がない僕にとって、ここまで全力で向き合ってくれる大人がいることは衝撃でした。先生と一緒に泣いたり笑ったり同じ時間を過ごしていく中で、「教師になりたい」という夢はますます強くなりました。
しかし、教師になるには・・・まず大学に行かなければいけない。だけど、家には僕を大学に行かせるお金がないことは分かっていました。
この状況で、僕が「教師」になるために残された道。それは、良い成績をとって学費を免除してもらうこと。それからというもの、僕はこの高い壁をめがけ、死に物狂いで受験勉強に励みました。
おかげで、高校生活は幸先の良いスタートを切ることができました。そして、負けず嫌いだった僕は部活にも熱中。
毎日が順風満帆に進んでいるように、見えました。
でも、そんな時だって、小さいころからの自分がいました。「~しなければいけない」と一人で抱え込んでしまう自分です。
いつの間にか、部活での「勝ちたい」「楽しい」という気持ちは、「結果を出さなきゃ」「チームに迷惑かけられない」という義務感に変わっていきました。毎日の練習が少しずつ辛くなっていきました。よく体調も壊すようになりました。
そんな中で迎えた大きな大会。県ベスト8を決める大事な試合でした。結果は・・・なんと絶好調!僕はチーム内で最多得点をとることができました。試合にも勝つことができ、周りにも「お前のおかげで勝てた」と言って貰えました。みんなで抱き合いながら、泣きました。
そんな楽しかった”はず"の試合の帰り道。突然、こんな気持ちがやってきました。
「あれ。俺、なんでこの程度の喜びのためにこんなにも辛い思いをしていたんだろう。」
それは今までずっと張りつめていた糸がプツンと切れたようでした。この日から、僕は努力する理由を見失ってしまいました。
神様は、意地悪なもので。負の連鎖は続きます。休部を決めた矢先に、仲がよかったクラスの友だち全員とクラスが離れてしまいます。
「大学に行くためには、誰よりも勉強しなければいけない」人一倍プレッシャーを抱えながら、部活も勉強も頑張り続ける中で、立て続けに起きたこれらの出来事は、心の支えだった居場所を一気に失ったように感じました。
そして、「気晴らしに」と思い立って、1日だけ学校を休んだのが、全てのはじまりでした。
どんどん積み重なっていく課題。
どんどん溜まっていくストレス。
「しなければいけない」「迷惑をかけてはいけない」という小さいころからのプレッシャーは、いつの間にか僕をむしばんでいました。
逆境を乗り越え、自ら道を開いた高校受験。
順風満帆に過ごしていた高校生活。
人に頼ることが苦手だった僕は、結局誰にも相談できず、不登校になりました。気づいたときには、すでに心も体も限界でした。
繰り返す未遂、本気で”死”を考えた日、転校。
「さむって、勉強もできるし、部活もできてすごいよな。」
当たり障りもなく、どこか距離のある言葉。
「さむ、あと1日休んだら進級できなくなるから、一緒に頑張ろうな。」
一ミリたりとも信じることができない励ましの言葉。
「お前には、無理だ。」
学校で聞く言葉のひとつひとつが、僕の頭の中でこんな言葉に変換されていきました。
17歳の時には、本気で死を考えるように。ことあるごとに自分で自分を傷つけてしまう日々を過ごしていました。
眠剤と精神安定剤を150錠ほど飲んでしまったこともありました。だけど、その時「苦しい」という感情すらなかった。毎日、真っ暗な世界の中で、自分の感情にもロックをかけていたんだと思います。
今考えると、「死にたい」というより「助けてくれ」というSOSだったのかもしれません。ただ誰かに「辛かったね」って言ってほしかった。
まあ、そんなに感情に気づくことも当時は出来ず。どん底の僕を見かねた母の勧めで、自由な校風の高校へ転校することになりました。この時はただ「家族にこれ以上迷惑をかけないように」という一心でした。
まさかこの先に僕の人生を大きく変えるような出会いが待っているとは。
踏み出した先には180°違う世界、ハッシャダイとの出会い
転校した高校は、今まで知っていた世界とはずいぶんちがう場所でした。新しい価値観、生き方、かっこよさ、頭の良さ。自分の知っていた「常識」の2文字は、ボロボロと壊れていきました。
少しずつ毎日が楽しくなってきたちょうどその時、僕の人生を大きく変える出来事が。それが、現ハッシャダイソーシャル代表理事の勝山さんとの出会いでした。
転校先の学校はハッシャダイスクールの年間プログラムがありました。正直、最初は「うさんくさいなあ・・・」と思っていたぐらいでした。
そんな曖昧な気持ちの中で、始まった勝山さんの講演。
「僕たちの夢は、若者たちの”選択格差”をなくすことです。」
その言葉を聞いた瞬間、姿勢をピンっと伸ばし、指の先まで熱くなる。そんな衝撃を受けました。
”選択格差”、家にお金がないため大学に行くという選択肢を簡単に取れなかった自分。
今まで本気で目指していた教師という道を断念し、ちょうど進路に悩んでいた今の自分。
勝山さんの言葉のひとつひとつが、今までの自分に重なって、突き刺さりました。気づいたときには、あれだけ半信半疑だった自分はどこかに消え、無我夢中で勝山さんの話を聞いていました。
「佐藤と言います!勝山さんと一緒に働かせてください!」
講演終了後、僕は、全力疾走で職員室に向かい、勝山さんに向かってこう言っていました。
この衝撃的な出会いの日から、勝山さんが僕の学校に来る度に「働きたい」という意思を伝え続けました。ここまで本気になれたのは、人生ではじめてでした。
「さむには、俺らが何十万出してもほしいと言われる人材になってほしい。」
ある日、愛のある厳しい言葉を貰いました。そう。当時高校生だった僕は、すぐにハッシャダイに入ることはできなかったけど、この言葉を聞いて完全に火が付いたんです。
”自分がどれだけ本気なのか絶対に分かってもらうんだ!"
もう逃げないと覚悟を決め、東京へ。ヤンキーインターンに参加。
この覚悟を行動で示そうと、とにかく今できることを手探りで始めました。ニュースのアプリを入れて毎日記事にしてみたり、東京の若手起業家が集まるイベントに応募してみたり。
いつの間にか、僕の毎日は「つらい、死にたい」と思う気持ちより「負けたくない」「変わろう」という気持ちの方が大きくなっていました。さらに、自分の気持ちとの付き合い方も少しずつ身についていきました。
高校卒業後は、株式会社ハッシャダイの「ヤンキーインターン」に参加を決め、東京へ。研修に励む日々は、寝れない日も食べることがままらないぐらい辛い日もありました。だけど、僕には仲間がいました。不思議と何でも話せてしまうような仲間、こいつだけには負けたくないと思える仲間。人に頼れなかった僕は、もう一人ではありませんでした。
全身が震えた言葉。覚悟を決めることができた言葉。ハッシャダイに出会ったあの日からここまで本当に数多くの出会いに恵まれました。
自分と同じ苦しみをしてほしくない、僕がいま目指す世界
そんな僕の最終的な夢は「世界平和」です。自分のように苦しむ人が少しでもいなくなってほしい。とにかく人の役に立ちたい。ただただ、幸せな人が増えてほしい。
中には、いやそんなの無理だよ、という人もいます。でも僕は「やってみなきゃ、分からないじゃん」って声を大にして言いたい。
ヤンキーインターンを卒業し、20歳になった今、僕は教育の事業を立ち上げました。
大きな荒波が立つ中、一人で夢を叶える第一歩を踏み出した新しい道。もちろん苦しいときもある。逃げ出したくなる時だってある。でも、今逃げ出さないのは、出会いがあったから。過去の自分に「辛かったね」と声をかけて、笑って許せるようになったから。
It always seems impossible until it’s done.
ー何事も成し遂げるまでは、いつも不可能に見える。
今の僕は、この覚悟をもって突き進むのみです。
「教育」で不可能を可能にしてみせる!
<取材・文=ハッシャダイソーシャル広報木村りさ>
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