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草原の道 <星空とシャーマンの話編>

モンゴルツーリングに行ってからもう1年経ってしまう、早いなあ。書き残していたことがあって気になっていたので、メモを見ながら思い出してみる。

きっともう、いまごろモンゴルは草原に花が咲き乱れている頃だろう。ツーリストキャンプの犬たちは大きくなったかな、今年も元気に走りまわっているんだろうか。あのツアーにガイドの助っ人としてバイトで来ていた男の子、他の4人のスタッフに比べたらやけに若くておとなしいが賢そうな子だった。(国の?)電力会社に就職するかもと言っていたけど、気が変わってガイド氏兄弟のツアー会社に就職することになってたりしないかな、とか考える。旅の先々で「すれ違った」人たちのことを時々思い出すことは楽しい。

元力士でもある、ガイド弟氏が日本語堪能だったから、モンゴルのことをいろいろ聞けたのもこの旅が印象深くなった一因だろう。エンジンをとめてヘルメットを外して休憩している時に、いろんな話を聞いた。

モンゴル人は、人の顔や馬の顔をとてもよく覚える。
これは司馬遼太郎の本にも書いてあったことだけど、ほんとに人の顔、そして馬の顔をよく覚えているそうだ。馬は何百頭いても顔で見分けがつくと言っていた。

「草原に住んでる遊牧民はどうやって生きてるの(生計をたててるの)?」
という質問に対して。
「家畜は高く売れるから儲かりますよ。だから、ウランバートルに住んでる人よりも、商売の上手い、『頭のいい遊牧民』のほうがお金持ってると思いますよ。」

「草原の人たちはどうやって住むところを決めるの?そもそも土地は誰のものなの?」という質問には
「都市部は違うけど、草原の土地は国のものですよ。だから誰のものでもないですね。住むところは、なんとなく折り合いがついてるかんじですかね。隣人とは『あの山までは、オレらのものね。』っていうかんじだと思います。」

小さな会話から、そこに住んでる人の生活というか、日常を想像してみる。
……が、いや、想像できないなw

夜になると飼われている牛が遊びにくる



昨年のツーリングでは、電波の届かない、四方に誰もいない草原のツーリストキャンプに3泊した。キャンプ最終日の夕方、バイクを乗り回して疲れ切ってゲルに戻ると、隣の川沿いにキャンプファイヤーのやぐらが組まれていた。

「おお!そうだよね、最終日だしキャンプファイヤーだよ。」

夕食後、やぐらに火が入った。
この、いくつかのゲルが建つツーリストキャンプでは発電機と太陽光発電から灯りをとってはいるのだけど、辺りはガチの暗闇だ。川のせせらぎの音があるから怖くはないんだけど、川の音がなかったら、静寂が恐ろしさをかなり助長するんじゃないかと思う。

火が暮れて月も沈み、満天の星空へ

すっかり日は暮れて、満天の星空だ。
ちょうどいい具合に、大きな月も西の山に沈むところだった。暗闇に包まれた川の浅瀬に、大きな炎を出しながらやぐらが燃えはじめた。椅子を持ってきて火を囲んで飲み会が始まる。ビールだけではなくて、さっき管理人ゲルの前で一生懸命準備されていた馬乳酒(?)もふるまわれた。

焚き火の火に照らされると、反対側に座っている人が酔っ払ってるのか酔っ払ってないのかが、なかなかわからない。みんな赤い(というかオレンジ色の)顔だ。

うーん、なんか、見たことある雰囲気だ。

学生時代、八王子の外れの山の中にある学校に通っていた。周りの農家には牛がいたような記憶もあるからかなりの田舎だ。そんな場所だから、学校のクラブハウスで焚き火をしながら飲んで、そのまま部室で寝るなんてこともできた。……というのが伝統だった。とても呑気な時代だった。

何を燃料にしていたのか今となっては思い出せないのだけど、一晩じゅう火を燃やし、その火を囲んで明け方まで飲む。最初は馬鹿騒ぎなのだけど、遅くなったので山道(というかケモノ道)を歩いて帰る人、部室に倒れ込む人……、と人数が減ってくる。夜半過ぎには数人で火を囲んだ静かな飲みになる。なんとなく会話が途切れると、だいたいみんなこう言うのだ。

「火って、見ていて飽きないよねぇ」

あれと全く一緒の光景を、ここモンゴルの草原の夜にボクは見ている。
日本からの旅行者5人、ガイド5人(うち日本語が喋れるのは1人)。
モンゴル語の会話も盛り上がっているのだけど、どんな話をしているのかはわからない。だけど、たぶん同じようなことを言っているんだろう。

「火って、見ていて飽きないよねぇ」

でも、彼らの方が「筋金入り」な気がする。太古の昔から、毎日のようにこういう生活をしてきた人たちだから。

酔いが廻ってくると、炭になった火の上を奇声をあげながら「火渡り」する輩が現れる。これも八王子のクラブハウスと一緒だw

さっきまで「すげー!」を連発しながら、天の川の写真を撮っていたTさん(女性)が、ガイドの運転手氏の後に続いて火渡りを始めた。
うーん、なかなかやるな。まあ、でももし火がついてもすぐ隣は川だしね。

さらに酔いがわまってくると、誰からともなく歌い出す。

日本の歌で言ったらなんだろう、ギャートルズの歌だろうか。「なんにもない、なんにもない、全くなんにもない……」

移動して、寝床をつくり、火を焚いて、酒を飲んで、歌って、寝る。
人間って、どこにいても、どんな国でも、どんな人種でも、原始的な営みって同じなんだなあと改めて思うのだ。

夜がふけていく中で、ガイド弟氏からいろんな話を聞く。
シャーマンの話が印象的だった。

今のモンゴルの宗教は何かというと、シャーマニズムなんだという。

ボクの友人で「チベットチベット」というドキュメンタリー映画を撮った、キムさんという人がいる。放浪の旅の途中、チベットで泊まったゲルの中に飾ってあったダライラマの写真に興味を持ったことをきっかけに、インドに行って実際にダライラマに会ってしまうというスゴい人なんだけど、彼の映画を見ていたので、モンゴルはチベット仏教なんじゃないかと思い込んでいたのだが、違った。

ガイド弟氏は、「それはちょっと前の話で、いまはシャーマニズムです」と言った。
「中国がモンゴルを治めていた間、気性の荒いモンゴル人を穏やかにするために、仏教を使ったんですよ。お坊さんになれば税金がかからないとかね。その後仏教への弾圧があって、宗教が自由になったのが1990年からですね。」

元々モンゴルは、シャーマニズムなのだという。

「そこらへんにたくさんいますよ、シャーマンが。」
「え! たくさんいるの?」
「はい、います。」

まじか。

シャーマンはあちこちにいて、公言して人助けに活用する人もいれば、人には言わず内緒にしている人もいるんだという。自分がシャーマンであるとは最初はわからなくて、どうも変だなと思ってシャーマンに相談にいくと「あなたは選ばれた人だから修行をしなさい」ということになる。修行をすると、あちらの世界からやってくる霊(?)との交信を自分で制御できるようになるんだという。

「まあ、だいたい周りの人が最初に気づくんですよ。飲んでるといきなり別人になるとか」

ボクは反論する。酒に飲まれて別人になる人をいっぱい見てきたw から。
「いやー、飲んで別人になる人はどこにでもいますよ。」

「酔っ払って目がすわって……とかじゃなないんですよ。本当に別人なんです。話し方も、物腰も、知ってる知識も全然別人なんです。」
「うちの運転手いるでしょ、あそこで酔っ払ってる……」

いちばん右に座っている彼だ。

「彼もおそらくそう。ほんとうに突然別人になるんですよ。」


昨年、モンゴルツーリングに行く前に、いくつかドキュメンタリー映画を見て予習して行ったんだが、彼の言っていたシャーマンのこともわかる映画があるので参考までに。

そのほかいくつか。

これは今のモンゴルをよく表してるんじゃないかと思った。「なんで、町を走ってるクルマがプリウスだらけなんだろう?」と疑問に思ったのも、これを見てからだった。フランス人監督らしい映像。

探検家・関野吉晴氏がモンゴルで出会った少女との交流。舞台は2000年前後だから、ちょっと前のモンゴルのかんじ、おそらく。

もし自分が日本で、外国人を河口湖とか京都とかに案内したとして、こんなに日本のことを話せるだろうか。言葉の壁がなかったとしても……。そう考えてしまう旅でもあった。

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