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草原の道 <きっかけ編>

7月の末、モンゴルの草原を走るバイクツーリングに奥さんと参加した。

うちの奥さんとはここ数年、「いつかモンゴルに行く」が合言葉のようになっていたんだけれども、コロナ禍がやっと収束した今年の春、「ひょっとしてこの夏行けるんじゃない?」とどちらからともなく言い出した。彼女は馬に乗るツアーがよかったみたいだけど、数年前にバイクの免許もとったし、バイクツアーのほうが移動距離も長いから、いろんな景色を見られるんじゃないか。ということでバイクのツアーを推した。

少々高かったけれども、シルクロードツーリングでもお世話になった株式会社道祖神に相談して7月のツアーに参加することにした。出発の成田ではシルクロードにも同行してくれた担当者と数年ぶりに再会。

「お久しぶりです! コロナ禍大変だったんじゃないですか!?」
「いやー冗談じゃなく大変でしたよー。だいぶ戻ってきましたけど、まだまだ大変ですね…」

と笑う顔は、そんなに深刻なかんじでもないように見えた。

7月8月のモンゴルは雨が多いらしのだが、例によって「雨男」であるボクのパワーが「超晴れ女」である奥さんを凌駕した。前半2日が雨(初日は大雨)、後半がかろうじて晴れ。草原に続く道はほとんど土の道なので雨でよく滑る。ボクも奥さんも他の参加者も、ヤマハ セロー250で実によくコケた。川は増水していて簡単には渡れず、現地ガイドも「このコースでこんなに大変だったのは初めてですよ」と言うほどだった。

現地でガイドしてくれたのは、元・大相撲の力士で日本に12年いた人。日本語はほぼネイティブだし、オフロードも上手い。そんな、良いガイドにも恵まれていろんな話を聞いた。バイクの話だけでなくてモンゴルのこともたくさん。もし自分が日本における観光ガイドで、外国の人を日本に迎え入れたとして、たった6日間でこんなに自分の国の話ができるだろうか?と思えるほど。

「すげー!!!」としか言えない、素晴らしい景色もたくさん見てきたんだけど、なんだか帰ってきて1ヶ月たっても、感想としての「言葉」が出てこない。

「モンゴル行ってきたんだって?」
という友人に、あの感動をどう説明したらいいのか。自分が「話し下手」であることを差し引いても、言葉にしようがない。久しぶりの海外だったから「食あたり」みたいなことになっているのかもしれない。

そもそも、なんでモンゴルだったのか。

奥さんは子どもの頃「スーホの白い馬」という絵本を読んだ記憶がずっと残っていて、いつかモンゴルに行って白い馬に乗ってみたいと思っていたらしい。この絵本をボクは知らなかったのだが、人に聞いてみると「教科書に載ってた」という人も少なからずいる。馬頭琴はどうしてできたのか、というモンゴルの民話がベースだ。

一方のボクは、モンゴルという場所はなんとなく昔から気になっていた。

奥さんに「スーホの白い馬」の話を聞いた頃だったか、むかし師匠に「きみは司馬遼太郎を読んだ方がいいよ」と言われたことを思い出して、何冊か文庫版を買ったのだが、その中に
「街道をゆく─モンゴル紀行─」
というのがあった。

「街道をゆく」には海外編もあったのか、と思いながら読んだ。
あまりよく覚えていないんだけど、「夏のモンゴルの草原は強く香る」という一節だけはすごく覚えていて、それは一度モンゴルに行って体験しなければと思っていた。

なんでこの本を、今回の旅の行き帰りの飛行機で読まなかったのか悔やまれるのだけど、帰国したあとしばらくたってから、読み返してみた。

そうだ、モンゴル政府のガイドである「ツェベックマさん」という女性ガイドと司馬遼太郎一行がモンゴルを旅した話だ。大学でモンゴル語を学んだという司馬先生も、モンゴルは念願の旅だったという。時は昭和48(1973)年の夏、まだモンゴル人民共和国という社会主義の国の時代であり、日本と国交が回復された直後で日本大使館ができた数ヶ月後の話である。「ノモンハン」とか「ソ連」という単語がたくさん出てくる。そういう影がまだまだ人々の中に漂っていた時代でもある。

とはいえ……司馬先生の時代はアントノフ24で、ボクらはボーイング737-800だったけど、飛行機でウランバートルに降り立ち、草原に行ってツーリストキャンプのゲルに泊まり、草と蝿に囲まれながら青空の下で用をたし、星が落ちてきそうな夜空に驚嘆し、ガイドの言動にたくさんの想像を働かせる……旅の内容は、そんなに変わらない。

が、改めて読んでみて、司馬遼太郎の「言葉」に息をのんだ。というか打ちのめされた。ここまで的確に、心に響く情景描写が日本語の文字だけで成立するんだなあと思った。おれは想像力が退化してる、とも思った。見た目どおりの色で撮れるiPhoneの写真も、GoProで水平固定で撮影できる4K映像も霞んでしまう。

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「あれはモンゴルか」
と、例の海牛が化けたようなスチュワーデスにきくと、そうだ、と答えてくれた。
 大きく起伏する赤茶けた大地に、ひっかいたような線で道路が走っている。いそがしく蛇行する川が、鍛冶屋がたたく鉄敷の面のような白さで光っている。
 白いパオのむれもあり、緑と茶の単調な色面のなかに、まれに胡麻をびっしり撒いたような色彩もみられる。かすかに動いているらしい。よくみると羊群であった。
(街道をゆく 5 <新装版>モンゴル紀行 司馬遼太郎 朝日新聞出版刊より)
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ボクが見た景色も、そのとおりだった。

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