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芸術系の大学で生徒が何を言っても発信しなかった理由。

 こんにちは。発信ラボの村越慎司です。今日は芸術系の大学でメディアの授業をした時のお話をします。

 芸術系の大学の生徒は基本的に良い意味で尖っています。やっぱりアートを専攻する人は、一般の人とは感覚が違うっていうのを分かっている生徒が多いです。その感覚は自信にもなり、プライドでもあるのですが、社会に出る時に、その『人とは違う感覚』のまま出てしまうと、プライドをズタズタにされることが多々あります。かと言って、社会の人達の感覚に合わせると今度は自分らしさがなくなっていくので、それはそれで病んでいきます。なので、社会に出ると病む生徒が多い気がします。

 ではどのように芸術系の生徒が自分のプライドを保って社会に出ていけるかって、創作技術をあげるか、自分の感覚を発信するかだと思っています。創作技術(映像、写真、文章、スカルプチャー制作などなんでも)が人よりも優れていれば、社会にでても才能を高く評価されますし、自分の感覚を発信し続ければ、普通に仕事をしていても自分の尖った感覚を維持したまま社会に適合していけると思うんですよね。

 で、僕が授業をした芸術系の学生がフリーペーパーを作って学校で配っていたんですよ。みんな凄い思い思いの文章を書いていて、素晴らしい作品だなって思ったので、「それフリーペーパーだけじゃなくて、ネットでも発信すればいいじゃん!」って言ったら、「いや、それはちょっと」って言うんですね。

「作品作ったでしょ?」 生徒「はい」 「その作品をみんなに読んでもらいたいでしょ?」 生徒「はい」 「じゃ、ネットにも上げればいいじゃん」 生徒「いや、それはちょっと」 「いやいや、文章の作品を作ったじゃん?」 生徒「はい」 「その作品、大勢の人に読んでもらいたくない?」 生徒「はい、読んでもらいたいです」 「じゃ、ネットでも発信すればいいじゃん」 生徒「いや、それはちょっと」

 この会話がどうどう巡りするわけです。なんでだろうとずっと考えていたんですが、もちろんフリーペーパーという紙の媒体に載った時に作品として成立するから、ネットだと成立しないっていうのもわかるんだけど、文章自体は紙に載ってもネットで読んでも同じ作品なので、紙の質感だけに頼るっていうのは少し弱い感じがしました。そして、このフリーペーパーは学校外に配ることなく、学校の友達同士で交換しあっていて、「いいね!」と言い合っていることがわかり、やっと何をしたいのかがわかったんです。

 つまり、彼らは知らない他人に評価されることをとても恐れていました。自分の感覚を他人に評価されたくない気持ちはすごくわかります。だって、自分が良いと思ったものを他人にどうこう言われたくない。例えると、カラオケで友達同士で歌を披露するのはいいけど、知らない客の入ったライブハウスのステージには立って歌うのは怖いみたいな感じです。凄い才能を持った生徒でも、この「他人に評価されたくない」といった感覚があり、プライドと技術は高いけど豆腐メンタルなので批判されると超凹むみたいな生徒が多いんですよね。

 でも、芸術系の生徒達に言いたいのは「それでも作品を発信するべき」だと言うことです。もちろん批判されて傷つくかもしれないけど、社会に出たら君たちの尖った感覚はどんどん削られて丸くなっていってしまう。芸術系大学の出身で成功した人達も「広告」とか「マーケティング」とか「ターゲット」とかいう言葉に寄り添って、本当に自分が良いと思うものの発信なんて出来なくなる。自分が良いと思うものがなんだったかわからなくなると言ってもいいかもしれない。だから、学生のうちに自分の好きな作品を作ったら、それを発信するべきだ。

 文章でも、映像でも、スカルプチャーでも、絵でも。キャンパスやフリーペーパーや映画上映などのオールドスタイルのメディアだけにこだわらないで、しっかりとネットでも発信するべきだ。批判してくるやつは無視していい。自分が好きなものはこれだ、自分の作品はこれだと、大きな声で発信して欲しい。何故なら、会話などのコミュニケーションでは表現できない気持ちや感覚が作品となって体現されて、それが君の一番言いたいことだったりするからだ。

 それを見た人が批判するかもしれない。でも、一番表現したいことを沢山の人に見てもらうことは超重要なことだ。たくさんの人に君の作品を見てもらわないと、君の『人と違った感覚』は昇華されずに、社会に出たときに分かっていない人達に踏みにじられることになる。君の尖った感覚に同感する人や凄いって思う人は必ずいる。だから、作品はしっかりと発信しよう!

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