死人ビジネス

 最初に言っておく。このnoteを添削する予定はない。今の僕が思い浮かんだことの書き殴りだからだ。よってキレイな文章になる保証はまるで出来ない、というか綺麗な文章なんか最初から書けない。もう散体しろ。


悪いインターネット

 今日、とある人気声優が癌によって亡くなった。多くの人気キャラクターを演じてきた人でもあったので、ツイッタランドでは多くの悼みの声が流れてきた。僕がまあまあ好きだったキャラクターを演じている人でもあったため、僕も少し悲しくなったが、それと同時にいつかは来るよな、とも思った。数年前から癌だということは言われていたし、最近は声の違和感も結構あったから。あと、僕は好きな声優を既に3人(すべて30代、40代の方だ)喪っているため、正直ちょっと慣れてしまったというのもある。


 ここまでが前提の話である。まだ普通のインターネットだ。

 これから数時間後、あるいは数日後。その声優が演じたキャラクターの漫画が描かれたり(声優が存命のキャラクターに向かって「じゃあな」とかいうやつ)するだろう。そのツイートはまず間違いなくバズるし、大量の「感動しました!」のリプライがつく。作者もそれに「ホントに悲しいです……」と返したりするし、勿論フォロワーは増える。ところがその作者のbioを覗きに行ったら「あれ、お前亡くなったことに対してのツイートしてなくね?」ということが割と多々あったりする。

 こういう現象の流れ、つまり死者を使って人気(つまりRTやいいね)を獲得しようという行動を僕は死人ビジネスと呼称している。自分で考えて何だがかなり不謹慎な名前ではあるなこれ。

 そもそも、声優が亡くなった時の感動モノの漫画など既におおよそのテンプレートが完成しているのである。キャラクターを適当に拾ってテンプレートに当てはめて、あとはちょっと会話文でオリジナル要素を足せば簡単にお涙頂戴モノの漫画の出来上がりだ。ぶっちゃけ死人ビジネスマンは僕からすれば同人ゴロと何ら変わりない存在で、そこに何の感動も覚えることはない。そもそも泣けないし僕。その瞬間で文脈のつながらない哀悼ツイートをしている方がよっぽどちゃんと悲しんでいるように見える。

 その一方で、こういったテンプレお涙頂戴漫画を蛇蝎のごとく嫌う人間も一定数存在する。「あんなもん、YouTubeの『○○、嘘だよな……?』と同レベルだろ」と、「ああいうのを見てるのが一番寒い」と。そんな人間が確かに存在する。

 かくいう僕もこのグループに属するからなんとなく分かるのだが、こういう人間はだいたい逆張りオタクだし、(意地の)悪いインターネットだ。近づかないほうがいい人種だ。真の良いインターネットというのは、そういったウケ狙いの漫画でもちゃんと感動して悲しみを昇華しようとする純粋な人間たちなのである。しかし、僕はもう一生そこへは行けないのだ。だから、たまに彼らに羨望の念を覚える。

「いいなあ、純粋に物事を受け止められて。なんで僕はこうなっちゃったんだろう」



 ……あ、そうそう。こんな文章を読んで「確かに」とか考える連中もまあまあ(意地の)悪いインターネットの素質があることをここに記しておく。

悪いリアル

 そんな死人ビジネスだが、現実ではとっくに出尽くされているといってもいい。樹木希林氏や野村克也氏、志村けん氏が亡くなった時、追悼番組はバカみたいに流れたし、言いもしていない言葉を連ねた書籍が大量に出版された。ついでに樹木希林氏の本に関してはバカ売れした。ソースは書店員の僕。

 つまり、インターネット、ここではツイッタランドを指すが――の死人ビジネスと現実における死人ビジネスは全く一緒、というよりもインターネットの死人ビジネスは現実の模倣だといえる。著名人の死はビジネスチャンスなのだ。

 あと、死人ビジネスの派生として人柱というものがある。……いや違う、歴史を踏まえれば逆――つまり人柱が死人ビジネスになったのか。最近で言うと志村けん氏などは間違いなく人柱だ。彼の死は現在も蔓延っている新型コロナウイルスの恐ろしさを多くの国民に周知させたというのは想像に難くないし、実際あれから僕が今住んでいるところでは外を出歩く人間が激減した。

 つまり志村けん氏は、(結果論ではあるものの)自分の死によって外出自粛の概念を浸透させたということになる。彼がもし新型コロナウイルスに罹患していなければ、あるいは罹患していたとしても退院出来ていたとすれば。僕は感染者の数が今より一回り多かったのではないかと思う。


人間は愚か(DWU)

 自分のためなら使えるものは死人でも使う。いい商魂だ。僕はとても気に食わないので暫くそれに参加することも加担することもないだろうが。多分数年後とかにようやく参戦するかも。その頃には皆こんな騒ぎ。忘れてるだろうし

 コロナの件で特に感じたことなのだけれど、結局、人間はどこまでも対岸の火事であるという考えを捨てきれないのだろう。「自分には関係ないだろう」と、心のどこかで思ってしまう。それは心配性の僕でも考えることがあるし、もうどうしようもない。だけど真っ先に対岸の火事という考えを捨てきれる人間……つまるところ脅威に敏感であるというのは、生存のうえで大きな力になるんだろう。まあ、敏感すぎるのも考えものだけれど。

 アイドル然りアーティスト然り、僕たちはそういった有名人をどこか宗教のシンボルであるかのように崇めることがある。そして、志村けん氏はお笑い界のシンボルであると言っても過言ではないだろうし、彼を見て長年笑っていた人間からすればショックであることは間違いない。そんなショックを受けた人たちは思うだろう、明日は我が身だと。そして外出自粛が起こる。そうでもしないと僕たちは分からないのだ。僕たちは所詮バカばかりなのである。

 人間は愚か、至言である。



 あとついでに外出自粛だからって古戦場やってる騎空士全員愚かだろ。スマホ・PCを閉じてプレイステーションをやれ。ぼくはSwitchをやります。嘘です。あと意地でもあつ森は買わねえからな。あんなのは社会不適合者が楽しめるゲームじゃないんだ。そんなことしてる暇あったら勉強しろ。

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