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【#創作大賞感想】「ナースの卯月に視えるもの」で蘇る感情の波が前向きな私を作る

長くなりますが「ナースの卯月に視えるもの」の感想に入る前に私の母についてお話をさせてください。

私の母は呑気で怖がりで自分ひとりではどこにも行けないほど方向音痴でした。家の近所でさえ道に迷うので妹と大笑いしてからかいました。母は「馬鹿にして!」と怒るのですが仕方ありません。だって、信じられない迷い方をするのですから。

激しい方向音痴のせいでしょうか、姉妹でからかいすぎたせいでしょうか。いくつもの受付をクリアしなければならない大きな病院で人間ドッグを受けることを母は拒絶し続けました。結局、激しい腹痛で大きな病院にかつぎこまれた時には手遅れだと医師に告げられてしまいます。

両親を早くに亡くした母にとって年の離れた伯母は母親代わりでした。どこか頼りない妹がしっかりと成長するよう厳しく育てたので母は「母親はすごく優しかったのに」と冗談まじりでよく文句を言ったものです。怖い姉として君臨した伯母は、母の病気を早くに発見できなかったと涙を流し後悔をしていました。

私も伯母も母には何度も大きな病院へ行くように、道に迷うなら一緒に行こうと誘っていました。でも、母は首を縦に振らなかったので手遅れとなってしまったのです。しかし、こういう時はどうしても家族は罪悪感を持ってしまいます。

重い病気で入院する人達は多かれ少なかれ、そういう感情を持って入院棟を訪れるでしょうし、それを受け止めてくれる看護師の方々は本当に大変だと思います。

「ナースの卯月に視えるもの」の中でも看護師の方々の患者や家族への対応が卯月の心理描写と共に描かれています。こういった感情への対応でさえ大変なのに、看護師の方々は患者の変化によく気づいてくれます。

「はそやm母さん、可愛いパジャマ着てるね」

他愛もない会話で元気がすっと注入されるのを感じました。

意識がなくなってからも清拭は必ず一声かけて始めます。当たり前のことなのかもしれませんが、私には本当に嬉しいことでした。

「お口の中を綺麗にしますねぇ」

と言いながら歯を磨いてもらう時、ここまでのケアは家では不可能と心の中で深々と頭を下げました。

意識がなくなってからの母はひたすら「痛い」と呟いていました。意識がある時は言わなかった言葉です。何分かおきに呟くため、必死になってさすります。さすっていると「お母様に伝わっていますよ」と声掛けをしてくれました。「意識がなくても?」と聞き返すと「ご家族の手は違いますから」と優しく答えてくれるのです。その言葉を支えに私も妹も必死に母をさすり続けることができました。

母の回復を願いさすり続けましたが自発呼吸が難しくなり、人工呼吸器をつけないことを私達は選択します。一度つけると取り外すことができないと言われたからです。「痛い」と呟く母にこれ以上、辛い思いをさせてはいけないという気持からでした。人工呼吸器をつけてでも生きて欲しいと思うのは自分達のエゴを母に押し付けるような気がしたのです。看護師さんの声掛けで心折れることなく姉妹でさすり続けられたからこそ、母の辛さを考えられたのだと思います。

それからしばらくして母は亡くなりました。

霊安室での最期のお別れで献花してくださる看護師の方々の涙を見て「私達と同じように悲しんでくれている」とぼんやりと思ったことを今も鮮明に覚えています。普段、明るく接してくださったので余計に印象が強かったのでしょう。

「ナースの卯月に視えるもの」を読みながら私は母親の入院中に起きたことを思い出し涙を流しました。

最近、ようやく泣かなくなったので久々の体験です。

入院中は食欲がないというので、私が幼稚園の時に使っていた小さなお弁当箱におかずを詰めて差し入れをしました。お弁当箱を見て幼稚園時代の思い出話に花が咲き楽しかったです。毎回、美味しいと食べてくれた母が、一度だけタコの入った練り物を煮たおかずに「これは生のほうが良かったな」と言いました。

その時はさらっと「ごめんね」と謝っただけだったのですが。母が亡くなり1年ほど過ぎた時、スーパーでその練り物を見たとたん涙が止まらなくなったのです。なにげない母の一言が心のどこかに残っていたのでしょう。

もしかすると視えないだけで私の隣には「なにかがいた」のかもしれません。

タコの練り物で泣くなんてと苦笑いをしましたが、こういう感情の波は突如押し寄せてきます。日にち薬で涙の出る回数が減ってもある日突然、感情の波は襲ってくるのです。

そういう日々が過ぎ去り、最近は母を思い出しても泣かなくなったのですが。

5月8日は感情の波が幾度も押し寄せる日となってしまいました。「ナースの卯月に視えるもの」の中に母と同じ病気の方は登場しません。ただ、読んでいると母と看護師の方々が笑顔を交わす光景が浮かんでしまうのです。日に何度も体位を変える姿、清拭前の声掛け。卯月の中で出てくる「お仕事のシーン」はリアルに母の思い出を蘇らせます。

「看護師さんがね、このパジャマ可愛いって」

そう言った母の笑顔と再び出会える機会を作ってくれた秋谷りんこ先生、本当にありがとうございます。

「ナースの卯月に視えるもの」はお仕事小説なので、仕事の悩みを話し合うシーンや飲食の場面が何度か出てきます。その姿はどこにでもいる働く人達と同じだと感じました。

母の最期に涙を見せてくださった看護師の方々を「私達と同じ」と感じていたにも関わらず、細やかな看護を経験したためかどこか特別視する自分がいました。しかし、悩みながらも前に進む卯月達は「同じ人間である」ことをはっきりと伝えてくれたのです。

創作大賞で始めて知った「お仕事小説」という言葉。自分の知らないことを教えてもらえるのが「お仕事小説」だとばかり思っていましたが「ナースの卯月に視えるもの」は、そればかりではないと私に語りかけます。

「お仕事小説」は人と人をつながりを再確認させ、成長させてくれるもの、少なくとも私にとってはそういう存在となりました。

しばらくの間、私は感情の波に揺られ涙を抑えられない日が続くでしょうが、その全てを受け入れます。感情の波が落ち着いた時に前へ一歩踏み出せばいいのですから。

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