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【#創作大賞2024】祖母・猛女編

祖母の話になるとコメント欄がにぎわいます。やはり祖母は偉大です。早く祖母の生き方のような、読む人をザワつかせる文章が書けるようになりたいです。


言い張る祖母


2階から洗濯物を干し終わった祖母が降りてきましたが様子が変です。

「……スズメバチに刺された……」

そう言いながら手をおさえ椅子に倒れ込む祖母。ミツバチでさえ刺されたら大変なのにスズメバチに刺されるなんて信じられません。

「またまたあ」

と本気にしないでいたのですが、祖母の手があっという間に野球のグローブくらいの大きさに腫れあがりました。頑健さが売りの祖母がウンウンと唸り声を上げ苦しんでいます。

祖母だって人間……慌てて近くの医院に、という話になったのですが祖母は診察を拒否。なんとか説得しようとしますが首を横に振りません。こうなると祖母を「うん」と言わせることは不可能です。祖母を医院に連れていくことは諦めました。

こう書くと祖母が病院嫌いのように感じるかもしれませんが、祖母は病院が大好きで、健康なのに近くの医院に毎日通っていました。その病院は下町の昔ながらの医院で簡単なものならば外科も内科も対応するなんでも屋医院でした。

医院は肩凝り・腰痛改善のため、電気にかかる老人で常に混雑しています。祖母も電気を当てると肩こりが良くなるという理由で毎日通っていました。腰痛・肩凝りなら接骨院か整形外科へ通うべきですが、なぜか近所の老人は整形外科ではなく内科が専門のなんでも屋医院に通っていたのです。

「あら今日はヨネさん休み?」
「風邪具合が悪いってよ」
「早く良くなるといいわね」

そんな会話が待合室で聞かれるような医院のため、スズメバチに刺されて片手がグローブになっても医師に診てもらわないと言い張るのです。祖母にとって毎日通う医院は「肩凝りをほぐす場所」と化していました。

結局、祖母は医院へ行かずに自力で腫れを治します。

すっかり手の大きさが戻った時、なぜスズメバチに刺されたのか聞いてみると、

「近寄ってきたからブンブン腕を振り回し追っ払おうとした」

のだそうです。スズメバチへガチに戦いを挑んだら、いくら猛女でも敵うわけがありません。

病院にもいかず治ったのは祖母が強かったわけではなく単に幸運だったと今でも声を大にして叫びたいです。病院は病気やケガの時に行くべき場所だと思うんですよね。

年齢=体重の祖母


祖母が70を過ぎた時、体重計の表示を見て衝撃を受けました。体重が年齢と同じだったのです。そのことを発見してから誕生日に祖母が体重計に乗るのを姉妹で楽しみにするようになりました。

「さあ!乗って乗って!」

興奮する孫達の前で祖母は厳かに体重計に乗ります。ピタリ、年齢と同じ体重が表示されると孫は「おおー!」と大喜び。孫があまりに喜ぶせいか体重計に乗るのを祖母は嫌がりません。普通だと表示を見せないようにするのでしょうが、祖母は「自分は肉ではなく骨が重いから」と主張しているので体重を公開するのは平気でした。

でも、祖母は昼間、育ち盛りの孫と一緒に必ずおやつを食べていました。夕食後も必ずなにか口にします。健康で病気とは無縁でしたが、体重と年齢が一緒だったのは食べすぎのせいだと思うんですよね。

Running noseな祖母


「風邪なんて引いたことないよ」

いつも祖母が言っていたセリフです。祖母は母に触らせないほど私を可愛がっていたのでクシャミ・鼻水を私がしようものなら、なんでも屋医院へ抱えて飛び込んでいました。自分が具合の悪い時は行かないのに。

「おばあちゃんが甘やかすから、すぐ熱が出る」

と母は文句を言っていましたが私は幼児の頃、鼻の詰まっていないことがないというくらい年がら年中風邪を引き寝込むような子どもでした。だから頑健な祖母は憧れの存在だったのです。

夜、布団で一緒に寝ている時に幼い私は祖母にたずねます。

「おばあちゃんは風邪引かないの?」
「おばあちゃんはね、強いから一度も風邪を引いたことがないんだよ」
「すご~い」
「そうだろ、おばあちゃんはすごいんだよ」

幼い頃はこの話をずっと信じていましたが。

成長し祖母はクシャミもするし鼻水を垂らすということに気づきます。いや、派手にクシャミをするのは毎日のことで、幼児の頃は祖母の派手なクシャミを怒られていると勘違いし、よく泣いていました。

ヘーッチクショイィ!コンチクショイィ!
ヘーッチクショイィ!このすっとこどっこいぃ!

くしゃみをした後は鼻水が垂れています。
Running nose状態です。

「風邪?」

と一応聞くのですが、

「風邪じゃねえよ」

と答えます。鼻が出ていることを指摘しますが鼻水の存在も風邪を引いたことも決して認めません。そうして、自力で薬も飲まずに風邪を治します。祖母は正露丸以外、薬を信用しないタイプでした。

具合の悪い時はさっさと適切な処置をすべきだと思うんですよね。

正露丸好きな祖母


正露丸の適正な量は「大人3粒」です。しかし祖母は必ず5粒飲んでいました。心配した母は祖母に3粒にしろと、箱を見せながら正解を示します。母は正論の人だったのです。

しかし、祖母のような規格外な猛女に正論を言っても通用するわけがありません。

祖母は言われるたびに「いいんだよ」とニヤつきながら見せびらかすように正露丸を5粒飲みます。母の反応を面白かっていた祖母ですが、毎回言われるのが面倒になったようで、なんでも屋医院で「正露丸5粒」は妥当か否かを聞いてきました。

「先生は生薬だからいいって言ったよ!」

悔し気な母はそれ以降、正露丸について何も言わなくなりました。ただ、なぜ院長が祖母の間違いを認めたのか気になったようで後から確認をしにいくと、

「正露丸は生薬だけど……」

というところで祖母は出て行ってしまったと説明を受けたそうです。

話は最後まで聞かないといけないし、用法・用量は守るべきと思うんですよね。

空飛ぶ祖母


ドガガガガー。夜中に響き渡る異音に家族全員が飛び起きると布団に祖母がいません。階段の下には暗闇の中にうっすらと白い足の裏が浮かんで見えます。祖母が階段から落ちたのです。

「おばあちゃん!大丈夫!」
「ううう……い、痛いよう」

さすがの祖母も階段の上から下まで落ちたため弱気になっています。救急車は嫌だと言うので朝になるのを待ち、なんでも屋医院の院長に来てもらい診察を受けました。祖母は年齢と体重が同じため、とてもじゃありませんが運ぶことができなかったのです。

誰もが寝たきりを覚悟しました。父なんて介護用のベッドを検討したくらいです。

打ち身と擦り傷だけで済んだのは寝ぼけた状態で落ちて変に体がりきまなかったため骨が折れなかった、というのが院長の診たてでした。

「骨が丈夫だと折れないんだよ!」

元気になった祖母はそう言って自慢していましたが、落ちた当初は弱々しく痛みを訴え大人しかったので、母も扱いやすいと喜んでいました。

歩けるようになると怪我の部分に電気をあてに毎日通い1ヶ月ほどで快癒。あの時だけは正しい電気治療だったと思います。しかし、どうして整形外科に行かなかったのか不思議で仕方ないです。病院=なんでも屋医院だったからでしょうか。

怪我が回復すると階段から落ちたことは祖母の武勇伝のひとつに加えられました。会う人会う人に、

「空を飛んでいるようで気持ち良かったよう」

と自慢し、

「お強いですね」

と言われるのを楽しみにしていましたから。

でも、ものすごい音を立て落ちている最中に「空を飛んだ」なんて思えるでしょうか。嘘はいけないと思うんですよね。

エイトさん呼びな祖母


健康な祖母ですが微熱が続いたときがありました。歩くたびに「プップップ」とリズミカルにオナラも出ます。母は腸に問題があるのではないかと考え、なんでも屋医院に極秘で相談に行きました。

院長も微熱が続くのであれば、なにか問題があるのかもと考え入院して全身を検査することを提案しました。なんでも屋医院はその頃、入院できる病棟を増築していたのです。知っている病院だし微熱が続いているということもあり弱気になったのでしょう。祖母は大人しく入院しました。

入院して1週間もすると元気が出始めます。検査を入院中に何度か行いましたが異常は見つからず。その間に祖母は同室の人々を従えるボスになっていました。祖母が入院するというのは初めてだったので心配で毎日お見舞いに行っていましたが、いつも同室の人達と大笑いをする祖母がいたことを今も覚えています。

ある日のことです。祖母の口から「エイトさん」という言葉が出ました。親切な人達なんだよと言われ、

「エイト=8」さんってなに?と頭が疑問でいっぱいになります。何回聞いても祖母は「エイトさん」と言うのです。思わず院内で悪と闘うエイトマンを想像してしまい会いたい気持ちが膨れ上がりました。

「あの人がエイトさんだよ!」

そう指さした先には普通の女性がいました。どうしてエイトさんという名前なんだろう?と不思議がっている私の横でエイトさんはニコニコしながらゴミ箱の中身を回収してまわります。

エイトマンじゃなかった……

会うまでのワクワク感はこうやって、あっという間にしぼみました。あとで聞いたのですが、その入院棟では看護の補佐をする方々を「エイド(AID)さん」と呼んでいたのだそうです。

妙な誤解を招かないよう、言葉はしっかり聞き取らないといけないと思うんですよね。

少食を主張する祖母


「おばあちゃんはよく食べるね」

父にとっては誉め言葉でした。よく食べるから長生きなんだという意味で使ったのです。しかし、それは祖母の地雷を踏む結果となります。

箸を止め黙る祖母を見て母は危険を察知し、父に目配せをしました。しかし父は「おばあちゃんの年齢でそれだけ食べられる人はいない」と話を続けます。母はさり気なくやめさせようとしますが父に通じません。

「あたしゃ少食だよ!」
「気取るなよ、おばあちゃん」

朗らかに笑う父を見ながらため息をつく母。次の日から夕食は粗食になりました。仕事から疲れて帰ってくると、食卓には極度に少ないおかずがちんまりとしかありません。

ようやく父は自分の発言がまずかったことに気づきますが時すでに遅し。しかし、自分は間違ったことは言っていないと考え、祖母に謝りません。父は無言で夕食を済ませます。

そんな日が1週間ほど続きましたが結局、父が折れて普通の食卓は戻ります。祖母が家事は私の仕事だからと母に仕事を続けさせていたため、両親は共働きでした。父母にとってはこの1週間は地獄だったことでしょう。

粗食中の祖母は……昼間、孫とオヤツを食べていたので夕食がどんなに少なくても全く平気でした。

父の不用意な発言のおかげで少食を主張する珍しい祖母を見られましたが、やはり発言って慎重にすべきだと思うんですよね。

まだまだありますが


ここまで書いて4400字を超えました。祖母の猛女伝説はまだまだありますが、今日はこの辺でやめます。

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