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国立西洋美術館 「上野公園、その矛盾に満ちた場所、上野から山谷へ/山谷から上野へ」 感想! 西洋美術館の周りを綺麗にしていたのは上野から排除された人々だった!

 こんにちは! 実は先日、話題になっている国立西洋美術館の企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか」を見に行ってきた。今回は、その展示の中の弓指寛治さんという方の作品についての感想を話していきたい。僕は普段、美術館にはあまりいかないし、美術的な事に関してはまったくの素人であるが、弓指さんの作品がすごくいい作品だったため、素人なりに、どこがどうよかったのかを分析したので話していきたい。それでは初めていこう。(作品のネタバレが入りますのでご注意下さい!)

 国立西洋美術館企画展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか」 この企画展のテーマは、「強固な西洋美術の権威に現代作家はいかに挑むのか!」であり、現代美術により、西洋美術の持つ権威的な性格の問題や課題をうきぼりにする事が目的になっている。要は、西洋美術という制度批判を作品により試みようという企画である。

 美術や芸術に疎い僕でも、正直このテーマには興味がでた。西洋美術館の企画で、西洋美術(権威)の批判をしようというのだ。これは中々斬新である。実際に企画展の作品をみて、様々な視点から多様なやり方で作品による権威への問題提起が行われていた。中には難解な作品もあり、なんか難しいな〜とか思いながらみていると、一箇所だけ、他の作品とは違った雰囲気の展示があった。それが弓指さんの「上野公園、その矛盾に満ちた場所、上野から山谷へ/山谷から上野へ」という作品だ。

 この作品は、国立西洋美術館は上野公園にありながら、その土地のもつ物語や、そこに生きる人々にあまりに無関心だったという反省から始まった物らしい。実際、今の上野は綺麗に環境整備され、「芸術の森」というイメージになっている。しかし、ホームレスの人々がいたことも、上野の歴史の1つであり、今作はそういった表にでてこない部分に深く切り込んでいる。この作品を作るために、弓指さんは、ホームレスの支援や保護が行われいる山谷という場所で、ホームレスの人々や支援施設の方々とコミュニケーションを行い、ホームレスの人々がどんな生活をしているのか。支援施設にはどんな人がいて、どのような活動をしているのか。それらの内容が絵画と文書により語られている。

 そして、それらの作品の一部に、ホームレスの多田さんとカンジさんという二人が、どういう経緯でホームレスになり、山谷にたどり着いたかの話や、どういう人生を送ってきたかについて、物語形式で語られている部分がある。その物語は、なかなか面白く、クスっと笑ってしまうような話もあれば、悲しい話もあり、全て見終わったとき、この二人にすっかり親近感が湧いていた。

 当たり前かもしれないが、普通に生活をしていて、ホームレスの人の人生をここまで深くしれる機械はなかなかない。そもそも興味を持つ人がいないし、ホームレスを怖いと思っている人も多いだろう。だから、僕たちは、「ホームレス」という存在を、表層としては理解しているが、具体的な個人としてはなにも知らない。しかし、この作品により、ホームレスの方の個人の人生の一部に触れることができた。そして、これも当然の事ではあるのだが、山谷のホームレスの人々も、特別な人ではなく、様々な事情や経緯があり山谷にたどり着いたという、当たり前の事実に改めて気付かされる。

 この作品は、「ホームレス」という、今まで西洋美術館が触れてこなかった、上野から排除されてきた存在を、上野の歴史の一部として描き出している。上野の芸術の森としての側面が「表」なら、山谷のドヤ街は「裏」の側面だろう。今作は西洋美術館としての権威や芸術の森の「裏」にスポットライトを当てているのだ。

 さらにこの作品のいい所は開かれているところだ。美術的な知識がなくても、絵画と文書の物語を追っていくだけで理解できるし、文書も、論文のような学術的な文書ではなく読みやすいものになっている。

 さらに、作品のなかに、弓指さんの政治的な主張が入っている訳でもない。この作品に主張があるとすれば、山谷の事をより多くの人に知ってもらいたいという事だけである。このシンプルにより、コンセプトが絞られ、より伝わりやすくなったと思う。

 今まで説明した事からもわかるように、今回の弓指さんの作品は、西洋美術館が扱っている作品の権威的なものとは、全く別の魅力や可能性を持っている。その事実が、企画展のテーマである制度批判に繋がっているのだ。

 そして、この作品は最後、西洋美術館の周りの清掃をする、山谷のホームレスの人々の絵画が描かれる。実は西洋美術館の周りを清掃する仕事をする人たちの中に、山谷のドヤ街の人達がいたのだ。「上野から山谷へ、山谷から上野へ」のタイトル通り、この作品は山谷から、最後は上野に戻ってくる。上野の芸術の森の代表的存在である西洋美術館、その裏では、環境整備という形で山谷の人々が関わっていたのだ。上野の西洋美術館の周りを綺麗にしていたのは、上野から排除されてしまった人々だった。

 決して交わらないように思えた、西洋美術館と山谷が作品の中で繋がった瞬間だった、そしてそれは、この作品そのものにも同じ事がいえる。権威的な作品を扱う西洋美術館の企画展で、山谷のホームレスという、権威的ではない作品が展示された。まさに上野と山谷、芸術の森とホームレスのドヤ街、権威とそうではないもの、という交わらないはずのものが繋がった作品なのだ。

 僕の感想は、こんな所である。好き勝手な感想を話したが、最初にいったように僕は美術に関してはまったく無知であり、今回の感想も、もしかしたら的はずれな誤読をしているかもしれない。でも、この作品をいいと思った気持ちは本当だから、それでいいような気もする。企画展はもうすぐ終わってしまうのでまだいってない方はぜひ! 美術館って楽しいですよ!

 

 

 

 

 


 


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