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「オッペンハイマー」感想! 人の命を奪うイデオロギーと世界を変える「装置」はなぜ生まれた? 核兵器使用すら肯定するロジックの異常性

 こんにちは! 今回はクリストファー・ノーラン監督最新作「オッペンハイマー」についての感想を簡単に話していきたい。観終わった後かなり体力を消耗したし、爆発の光と音で神経が過敏になり一日だけ不眠症になるなど散々な目にあったが観てよかったと思ってる笑  それでは初めていこう。

 今作は、原爆の開発に成功した事で、原爆の父と呼ばれたアメリカの物理学者「ロバートオッペンハイマー」の栄光と挫折を描く歴史映画である。
 
 まず今作の印象としては、情報量も多く難しい映画であると思った。そもそも映画というのは、当たり前であるが現実よりも情報が整理されて、映像的にも物語的にもわかりやすいものになっている。

 しかし、今作は戦時下の史実が原作になっており、さらにそれを三時間に凝縮することで、凄い複雑で情報量の多い作品になっている。そういう意味では、史実の現実の複雑さが、そのまま映画の中に再現されているのだ。

 もちろん今作も情報は整理されているし、時系列のシャッフルなど、かなり計算しつくされた洗練された作品である事は間違いないのだが、観る側にとってわかりやすい作品にはなっていない。これは恐らく意図的であり、戦時下の多くの人間の思惑が絡みあった現実の複雑性を、映画の編集等の技術で出来る限り再現したのだと感じた。

 そして今作は、アメリカの原爆の使用を肯定したり否定するなどの善悪の話しでもない。ただオッペンハイマーの人生を史実にそって描いているだけである。僕が観ていて感じたのは、本当に恐ろしいのは原爆の開発者のオッペンハイマーでも使用を決定した大統領でもなく、核兵器で何万人もの人を殺してしまう事を正義とするロジックやイデオロギーを生んでしまった戦争という状況下だと感じた。

 トリニティ実験が成功した時の、あの凄まじい爆炎を見た時、あれを敵とはいえ同じ人間に使うなんて正気の沙汰とは思えかった。しかし、当時のアメリカを取り巻く、ナチスやソ連などの他国との軍拡競争であったり、日本を降伏させて戦争を終わらせるためには必要な事だというロジックやイデオロギーが生まれ、それが実際に生きている何万人もの人の命を奪った事実が重要ではないだろうか。

 当時のアメリカでは、人間を超えた所に、国家としての大きな流れやイデオロギーがあり、原爆の父と呼ばれるオッペンハイマーも、大統領も、イデオロギーの中の歯車の一つに過ぎないのだ。仮にオッペンハイマーがマンハッタン計画から降りていた所で、原爆自体は他の科学者が作り上げていただろうし、原爆の使用も、大統領個人の意志での決定というよりは、使用せざるおえないロジックに流されたのだと思う。イデオロギーやロジックの慣性力のほうがどんなに権力を持つ人間よりも強いのだ。

 そしてオッペンハイマーも、憎き敵国の人間を滅ぼしてやろうとか、そういった悪意で原爆を作ったようには見えない。科学者として、自分の頭の中のイメージや理論を現実化したいという欲求や、国家的プロジェクトの中心に自分がいるという自尊心などを原動力に動いているように見えた。だからこそ、実際に日本の被害状況をみて心を痛めるような描写があったり、罪悪感に悩まされる事になるのだろう。

 ただ思うのは、原爆の使用という事実は、オッペンハイマーの罪悪感などの自意識の範囲で収まる問題ではない。人間が人間に原爆を使ったということは、当然個人が責任をとれるような次元の話しではないし、もはや人類史的な問題なのだ。だからこそ今作では、そちらの問題や善悪論的な話しではなく、オッペンハイマー個人の視点を主観と客観で描いているのだ。

 戦時下の大きな時代の流れやイデオロギーであったり、オッペンハイマーという一人の科学者の頭の中の理論やイメージ、そして欲求が世界を変えてしまう「装置」を生み出した。そしてその「装置」は誕生と共に連鎖反応的に世界に広がり、今や世界のあり方を変えてしまったというような事であろう。その「装置」は、世界を「核」のある世界、人間が一瞬で滅びる可能性のある世界に変えてしまったのだ。

 僕の感想はここまでである。難しいくてよくわからなかったので、今回は正直に自分が感じた事を書いた。読んで頂いてありがとうございました! ではまた!

YouTubeの方でも話してますので。よかったらお聞き下さい→https://youtu.be/-4mB5cJEVgE?si=WbSWy1R9R6L9PTKM

 

 

 


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