生命力の起源を考える
今回の記事では、Mリーグの実況・解説でもよく使われている「生命力」という用語について考えたいと思います。
もちろん、麻雀の実況で言っているのは、「真空状態でもネムリユスリカは死なない」みたいな文字どおりの生命力の話ではありません。あくまで「麻雀における生命力」「プロ雀士としての生命力」であり、簡単に言えば、「運が強い」という意味になります。
上に貼った画像について説明すると、これは今シーズンのMリーグで佐々木寿人プロがカン5索のリーチをかけていた局面です。最大でも4枚しかない待ち牌が、牌山が残り少なくなった終盤になっても、まだ2枚も残っている――この状況を指して、Mリーグ公式解説の土田浩翔プロは「生命力がある = 運が強い」と言っているわけです。なお、生命力はあっても、この局の寿人プロにアガリはなく、結果は流局となっています。
麻雀マンガに見る「生命力」
バクチ麻雀を題材とした麻雀マンガでは、大金以外に生命や血液を賭けるのは珍しいことではありませんでした。そのため、麻雀の勝ち負けを生死にからめた表現も昔から使われてきました。
勝てば生、負ければ死
たとえば、1984年に勃発した山一抗争をモデルとした『哭きの竜』(1986〜1991)でも、麻雀勝負とヤクザ抗争をからめていることもあり、生死にまつわる表現は数多く出てきます。
『哭きの竜』には「生命力」という言葉も出てきますが、この場合はヒットマンに撃たれても死ななかったということなので、そのままの意味ですね。
完結後もいろいろあった『哭きの竜』ですが、これ以上晩節を汚さず、中島みゆきの「友情」をBGMに都市伝説のままでいてほしいと願っています。
なんと生命力の強い奴らめ
そんな麻雀マンガの中でも、「生命力」という言葉がひときわ印象的に使われたのが、来賀友志原作・嶺岸信明作画の『天牌』(1999〜2022)です。
そのシーンが出てくるのは、最強キャラのひとりである黒沢さんの引退試合となった天狗決戦の南2局になります。なお、この天狗決戦自体は、ただのお別れ会であり、負けたら死ぬとかそういう血なまぐさい勝負ではありません(吐血する人はいたけど)。
このシーンで、親の菊多は、ピンフ一気通貫の四ー七万テンパイに西をツモり、メンホンへの渡りを考えて六万を切ります。ここで「四ー七万でリーチしとけば親マンだろ」などと言うのは水たまりより浅い思考であり、リーチで手牌に蓋をしないのが天牌雀士の流儀です。
こうして一気通貫の五万単騎テンパイになるわけですが、すぐに対戦相手にビシと六万と七万を立て続けに切られます。五万を切って六万単騎にしていても、四ー七万テンパイを続行していてもアガリがあったわけです。
彼らは菊多のテンパイを察知してはおらず、六万も七万もツモ切りでした。意図して放銃を避けたわけではなく、マンズをつかみながらもアタリ牌をすり抜けるふたりの運の強さに菊多が顔を歪ませて独白したのが、この「なんと生命力の強い奴らめ」です。
この後、菊多は想定どおりメンホンをテンパイします。しかし、アガリのルートを2本も逃したわけですから、運の天秤はとうに傾いており、マンガン放銃の憂き目にあいます。だから、リーチしとけば……。
玉の生命力
ちなみに、将棋には「玉の生命力」という言葉があるそうです。ある棋士の持つ玉(王将・玉将)がなかなか詰まないということであり、その棋士の勝負強さを意味しています。
来賀先生は、『指して刺す』(1996)や『投了すっか!』(1996〜1997)といった将棋マンガの原作も手がけていたので、「生命力」という言葉は将棋からきているのかもしれないですね。将棋では盤上の玉の生命力とされていたのが、麻雀では打つ方の雀士の生命力に置き換わったわけです。
麻雀実況者としての来賀友志
『天牌』の原作者である来賀友志先生(1956〜2022)は、MONDO TVで1998〜1999年に放送された第2回・第3回モンド21杯で実況を担当していました。当時は麻雀の放送対局の黎明期であり、1995年から始まった芸能人主体のフジテレビ『THEわれめDEポン』の後を追うように1997年から始まったのが、各麻雀プロ団体のトッププロが対戦するモンド21杯でした。
この第2回・第3回モンド21杯の実況で、来賀先生が「生命力」と言いまくったことで、麻雀実況に「生命力」が定着したのではないか?
というのが今回の記事の仮説となります。しかし、この番組は権利関係やら何やらで現在は見れないので(第1回モンド21杯はYouTubeで視聴可能)、確認できませんでした。
モンド21杯の来賀実況
前述のとおり、第2回・第3回モンド21杯は、現在は全編を視聴することはできず、YouTubeに役満集のみが公開されています。その役満集を見てみたところ、来賀先生はこの中では「生命力」とは言っていませんでした。また、ひとつ気になる点がありました。
第3回モンド21杯の対局で、まず、西家の伊藤優孝プロが四暗刻単騎をテンパイし、ドラの⑥筒を切って④筒単騎に受けます。
同巡に、ダブ東を鳴いてテンパっている親の五十嵐毅プロが、⑦筒をツモってきます。五十嵐プロは数巡前に④筒を切っているので、⑦筒と入れ替えて再び④筒を切ることもできましたが、ここはツモ切りを選択し、四暗刻単騎にブッ刺さる難を逃れます。
気になったのは、ここで来賀先生が「九死に一生」と言っていることです。「生命力」を多用していた時期なら、「さすがの生命力!」みたいなことを言っている気がするんですね。うーん、そうなると、まだ「生命力」はあまり使ってなかったのかな。それとも、カゲロウのように幸薄いイガリンだから使わなかった?
ピンツェリーグの来賀実況
さらに、来賀先生が実況をやっていた、今から11年前のピンツェリーグの準決勝(2013/03/08)もニコニコ生放送で見直してみました。このピンツェリーグというのは、土田プロが主催していた私設リーグで、Mリーガー・小林剛プロをはじめとした錚々たるメンバーが参加していました。
この準決勝最終戦のオーラスで、最高位戦の水巻渉プロが、決勝への生き残りをかけてドラドラの手でリーチします。周囲がオリに向かう中、水巻プロは果たしてツモれるのか? このとき、来賀先生は確かに「生命力」という言葉を口にしていました。
「さあー、ここで生命力あるのかなあ、水巻?」 → なかった
というわけで、残念ながら、水巻プロにはこの手をアガり切る生命力は残っていませんでした。
「生命力」定着の流れ
元々、勝負の勝ち負けを生死と結びつける表現は、将棋でも麻雀でもよく見られました。その積み重ねがあった上で、来賀先生が好んだ「運が強い = 生命力がある」という言い回しが、1998〜1999年のモンド21杯を皮切りに麻雀実況で頻繁に使われたため、現在の麻雀実況にもすっかり定着したのではないでしょうか。もしそうであれば、最も広く人々の耳にふれているという点で、「生命力」は来賀先生の最大の遺産と言えるかもしれません。
ただ、冒頭で見たとおり、「生命力」は土田プロ(1959年生まれ)も使っていますし、バビィ(馬場裕一)(1959年生まれ)も麻雀最強戦の解説か何かでけっこう言ってた気がします。そうすると、1956年生まれの来賀先生含め、この世代(1950年代生まれ)特有の言い回しだったりするのかもしれません。
怪しい面もありますが、とりあえず「生命力」は来賀先生が広めた用語という仮説の下に話を進めます。
常勝と不敗と
豪運と生命力と
以前、旧ブログに、来賀友志先生と麻雀プロとしても活躍した土井泰昭先生(第1回モンド21杯で実況を担当)のことを「麻雀マンガ原作の二大巨頭」と書いたことがあります。
そして、上に貼った記事で、「豪運」という用語は、その土井泰昭原作の麻雀マンガ『幻に賭けろ』が起源なのではないかと書きました。
そうすると、「麻雀における強運」は、麻雀マンガ原作の二大巨頭である土井作品では「豪運」となり、来賀作品では「生命力」となったということになります。
こうして、現在では、ソシャゲのガチャの引きの強さ等で「豪運」が使われる一方、麻雀放送では選手の強運を指して「生命力」が使われているわけです。穿った見方をするなら、運に大きく左右される麻雀では、実力ゲーよりもかえって「ツイてたからアガれた」「ツイてたから振り込まずにすんだ」とは言いにくいため、「運」という言葉を極力使わずにすむよう「生命力」が使われるようになったのかもしれません。
生命力の歴史が、また1ページ
ここまで見てきた出来事を年表にまとめると以下になります。
これを読んでいるみなさんも、これからはMリーグでコバミサが桃ちゃんが日吉さんがツッチーが「生命力」という言葉を口にしたときは、その重みをじっくりと噛みしめてみてください。