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母の旅立ち、私の見送りへの道

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先日旅立った我が母の旅立ちまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったもの。母が残した日記、私が書いた母の看護、介護ノートをまとめたもの。母がたった一人で抱えていた苦しみ、私…
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#緩和ケア

母の見送りへの道  あとがき 第35回/全35回

母の旅立ちと私の見送りの記事、その過程で気付いた事の記事は前回で終了しました。今回は完全なあとがきとなります。 母の旅立ち、そして私の見送りへの道の記事はようやく終わりました。予定通りに35回で終わる事になったし、私自身としても書き残したことは無い…という思いです。 長らくお付き合い頂いた皆様には感謝しておりますし、またコメントを残してくださった皆様にも感謝いたします。 このnoteで書き始めたのが5月上旬で今は8月も中旬を過ぎようとしています。 つい先日は初盆も迎え

母の見送りへの道 【気付きと感じた事⑪】(葬儀関係)第34回/全35回

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。今回は母にとっても私にとっても本当の最後の最後となる葬儀関係について話してみたいと思います。 母にとって私にとって本当の最後の最後…では無いのかもしれないが、結構明確に区切りがつくイベントはやはり葬儀になると思う。その後魂は四十九日まで…とかそういう発想になればまた違うのだろうが、母の身体そのものが無くなるのでやはり一番のお別れの儀式でもある。

母の見送りへの道 【気付きと感じた事⑩】(緩和ケア科)第33回/全35回

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。今回は母がお世話になった最後の場所、緩和ケア科での話をしてみたいと思います。 【緩和ケア科のイメージ】 我が母が最期を迎えた場所はS病院の緩和ケア科病棟。母は最後の約1か月をこの緩和ケア科で過ごしている。 まあ私自身は入院した経験が無いし、家族の入院というのもあまり無い家庭ではあった。母が10年前に大腸がん手術をした折に3週間ほど、このS病院

母の見送りへの道 【気付きと感じた事⑧】(介護用品①)第31回/全35回

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。今回は母が使用した介護用品の一部について話してみたいと思います。 母と私の場合に最も必要だった介護用品は言うまでもなく介護ベッドだった。 訪問診療開始直後から担当の先生(IクリニックのI先生)とも介護ベッドがあると楽になるね…という会話をしていたものの、どのときは導入には至らなかった。ただ1週間後に容態が急変して、急遽介護ベッドを入れることに

母の見送りへの道 【気付きと感じた事⑤】(訪問入浴)第28回/全35回

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。今回は訪問入浴について話してみたいと思います。 【はじめての訪問入浴の世界】 母と私の場合は実際に訪問入浴にお世話になったのは1回きり。予定では週に1回は訪問入浴にお世話になるはずだったが、2回目の訪問入浴を前に母が入院する事になった為である。 なので訪問入浴の経験は僅か1回きりだが、その時に感じた事と気付いた事を書いてみたい。 正直なとこ

母の見送りへの道 【気付きと感じた事④】(ケアマネージャー)第27回/全35回

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。 今回はケアマネージャーについて話してみたいと思います。 【いきなりケアマネージャーを選ぶ話だが…】 母と私の場合は少し特殊なのか、ケアマネの人選という意味ではほぼ選択肢はありませんでした。理由は過去の記事にもあるのですが、1月に母の容態が急激に悪化した時にまだケアマネージャーが決まっていなかったからである。 訪問診療の先生も母がここまで急

母の見送りへの道 【気付きと感じた事③】(訪問看護)第26回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。 母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。 ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。 今回は訪問看護(訪問看護師)について話してみたいと思います。 【当初は訪問看護師さんとの関係も薄いが…】前回の記事で訪問診療についてあれこれと語り、訪問診療の先生はすごい…という話をしたが、実際にその訪問診療で本当にお世話になったのは自宅に訪問して頂いた看護師

母の見送りへの道 【気付きと感じた事②】(訪問診療)第25回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。 母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。 今回は訪問診療について話してみたいと思います。 【訪問診療の決定までは時間を要するのか…?】母が旅立つまでの道のりの途中で訪問診療にお世話になることがありました。 母自身が治療をしない方針を決めた11月下旬に、O病院のがん支援センター相談員(Yさん)に紹介さ

母の見送りへの道 【気付きと感じた事①】(カミングアウト、何もしない家族に恨み節)第24回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。 母の旅立ちと私の見送りの記事は終了。 ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。 最初に予めお断りしておきます。今回の記事は特に私の恨みと怒りが満ち溢れた文章になると思います。乱暴な文言、人としてどうかと思える表現や私の想いがあると思います。なにとぞ大目に見て頂ければと思います。 【実は私以外にも家族が居た】第1回から第23回まで母の旅立ち、私の

母の旅立ちへの道 【母の視点での道 総括】第23回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。 母の看取りを終えて、ここまでの道のりを振り返ってみる。今回は母の視点を中心にしてみたいと思う。 【治療をしないという決断、その後の母の言動】2023年末に母はガンの治療をしないという事を私に伝えた後、家の事全般の事の説明をし始めた。当初私は母上の最期を想像もしたくないので、ロクに話も聞かなかったがそれでも母はすべての説明をした。聞く気が無くても何となくでも伝わればいいという想いだったと後に病室

母の旅立ちへの道 【私の視点での道 総括】第22回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。 母の看取りを終えて、ここまでの道のりを私視点と母の視点で改めて振り返ってみたいと思います。 【この記事は私の忘備録代わりとして】この「母の旅立ち、私の見送りへの道」は私の忘備録代わりでもあるが、同時に母と私の知られざる道のりを記録として残したいと思ったから作成しました。まあ実際は別に「闘病、看護記録」として別にノートに書き残してはいるのだが、きちんと正式な形で残しておきたいという事でこのnot

母の旅立ち、私の見送りへの道 入院編⑧ 3/1~3/2 (看取りまでの24時間) 第21回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。 母の旅立ちまでの道のりもいよいよ最後。8月下旬に身体の異変を感じてからおよそ7か月にあたるこの日の母はついに旅立ちの時を迎えた。今回は母が戦った最後の夜の様子と、私が母に残した最終的なメッセージ(手紙)をそのまま掲載してみます。 3/1 金 S病院 入院32日目【最後の付き添い(泊まり)】9:50 S病院から私の携帯電話に連絡あり。 だが仕事中で電話に出れず(職場内は携帯電話持ち込み禁止の為)

母の旅立ち、私の見送りへの道 入院編⑦ 2/25~2/29 (最期に向けてのカウントダウン) 第20回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。 もうこの頃になるといよいよ最期に向けて…という状態になっていく期間。会話や意思疎通もままならず、殆ど寝たままの状態。見舞いに行っても脚のマッサージや僅かに水を飲ませるだけ。母の最期が近くなっていくのは見て取れたが、今にして思えばこの状態でありながら長く持ったような気はする。私にとっては一日でも長く生きて欲しいという想いはあったが、母にとってはより長く苦しむだけになったのかもしれない…。 2/2

母の旅立ち、私の見送りへの道 入院編⑥ 2/23~2/24 (初の付き添いの泊まり) 第19回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。 今回はS病院にて初の付き添い(泊まり)となった2日間を紹介。今まで病院では午後の数時間しか母の様子を見ていなかったが、丸一日以上母の傍に居ることになる。ただ殆ど会話も出来ずで、こちらの問いかけに僅かに頷くか首を振るかだけの意思疎通となる。脚にはうっ血の状態が顕著に見られるようになり、私としては時間があれば脚のマッサージを繰り返すだけの時間となった。 2月23日 金 S病院 入院25日目【病室泊