天正15年(1587)8月7日は肥後で検地を強行した佐々成政が応じない隈部親永の隈府城を攻撃した日。このあと国人や百姓が親永に応じて一斉に蜂起し成政の隈本城を攻撃する一揆に発展。自力で鎮められなくなった成政は秀吉に援軍を要請。翌年秀吉から責任を問われた成政は切腹を命じられる。