文禄5年(1596)9月2日は秀吉が明使節の沈惟敬らと面会し朝鮮への再出兵を決めた日。前日に使節から渡された明皇帝の国書が秀吉の要求に対して何も答えていないことから両国の外交担当が偽りの情報を上げていたことが発覚。2年後の秀吉の死により日本軍が撤退するまで続く慶長の役がはじまる。