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亡き鷺沢萌さんに励まされ書き上げた、深沢潮さん渾身の大作! 朝鮮王朝最後の皇太子妃・梨本宮方子と、韓国独立運動家と恋に落ちたマサの数奇な運命を描く、『李の花は散っても』刊行記念エッセイ

李王朝に嫁いだ日本人皇族女性の激動の生涯を描き切る 作家・深沢潮が到達した境地

【百年ニュース】1921(大正10)10月6日(木) 大韓帝国最後の皇太子李垠と(梨本宮)方子の長男李晋(イ・ジン)が初参内。生後50日。大正天皇,貞明皇后より玩具を下賜される。翌年5月李晋は訪問先の朝鮮京城府で消化不良により急死。生後0歳での急逝に当時は毒殺説も唱えられた。

【百年ニュース】1921(大正10)6月10日(金) 旧肥前佐賀藩主の鍋島直大(74)が危篤状態となる。1861(文久元)16歳で父鍋島直正から佐賀藩主を継ぎ,1871(明治4)廃藩置県で佐賀藩知事となるが辞し,岩倉使節団に随行し米国と英国留学(オックスフォード)。のちイタリア公使となった。

【百年ニュース】1920(大正9)4月28日(水)鳥居坂御用邸(李王邸)で大韓帝国最後の皇太子李垠と梨本宮方子女王(李方子)の婚儀。1921長男李晋誕生(夭逝)。1931次男李玖誕生。戦後方子は韓国に帰化。知的障害児施設「明暉園」と養護学校「慈恵学校」を設立。「明暉」は李垠雅号、「慈恵」は方子雅号。