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帰宅前、父が思い出の品と写真をいくつか持たせてくれました。今はなきW.-Germanyと印刷されたノートの中は私の拙い旅行記。ライン川下り、パリ、スイス、リヒテンシュタイン、ニーチェの生家、グリンデルワルド、ユングフラウヨッホ、ミュンヘン、ハイデルベルグ、メスキルヒにハイデガー…

6か月前

昨日の満月、ネイティヴ・アメリカンは「ピンク・ムーン」と呼んでいます。見ることができなかったのですが、地上にはピンク色のまるい花、もうすぐ満開の椿を見つけました。椿の花びらの美しい規則性はどれだけ眺めていても飽きることがなく、実は今でも、中央の蕾の中には椿姫がいると思っています。

飲むわけでも吸うわけでもない私にとってゴールデン街はなくてはならない場所というわけではない。だがすぐ傍に誰かが生きていて、呑んで、喋って、笑っている。その気配が感じられることで、たとえ束の間であったとしても孤独が息をひそめる。その心地好さがわかる程には私も孤独が滲みついたようだ。

事故で記憶のない頃、狂ったように写真ばかり撮っていた。当時はまだデジタルもなくフィルム(実は暗室作業ができる)。食費を現像代に充て自分が何を見つめていたのかを確かめていた。ゴールデン街で数枚だけ撮った写真を見て、ふとそのことを思い出した。そんなふうに生きていたことすら忘れていた。

大道さんは時間をとめたいと仰るが、時間がとまったことのある私には、とまった時間を、見えない情景を繋ぎ合わせたくて写真を撮る、パズルのピースのようなものだ。ただ、シャッターを切った瞬間、自分が何を見つめていたのかだけは、写真を見ることで思い出すことができることもある。相互補完的だ。

恩師は優しく、情け深く、人の痛みというものをよく存じておられる。寂しがりやだがそのことを人には悟られまいとしていて、皆ほんとうは知っているけれどそのことには触れない。私のような者の行く末を案じながらも、君は大丈夫絶対に決まる、それまでの間をどうするかだけだ、と鼓舞してもくださる。

「10年前の今日」というsuggestionが突然表示され、もうこの世界のどこにもないと思っていた忘れていた情景が示される。10年前のちょうど今日、文学研究科にお世話になったのでした。クラウドなんて信じてなかったけれど、こんな粋なことをされると参ってしまう。喪失した私より優秀☺︎

今年も非常勤の集中講義の時期になりました🍀研究者は自然と教育に携わる機会が増え、はじめから教員を志望していたのではない方も少なくないように思います。それでも教えることのよろこびや楽しさを見出すことができたり、何より学生の皆さんの未来がよりよいものになるように、いつも願っています。

3週間前