とうとうほんとうに重忠企画を進めている。昨年の壁芝居より多くの方が関わってくださる。郷土史ビギナーのわたしに付き合ってくださる。きっと地元ならでは。夢みた絵巻夏野の露。お披露目が楽しみ。研究だ勉強だとはちょっとちがうどこかくつろいだ喜びを感じます。郷土史の醍醐味かな🐴
万騎が原郷土史ハウスを作る。ひょんなことから参加したあさひみらい塾で発表したわたしのみらいプラン。廃止された万騎が原交番跡の建物リフォーム案はあえなく早々に挫折 あー😮💨 なんだかんだ勇気を出して夢を語らせていただきました。こんなかわいい場所いつかほんとにできたらいい🐴⭐︎
買い物帰り、スーパーのカフェに寄ってコーヒー一杯。郷土史の会で読んでる福井光治さんの句、道祖神五十歩にして団地哉がよぎる。万騎が原界隈の道祖神は開発につれて移動してきた。何度も動いたものもあるとか。東西南北は合っているのだろう。どんど焼きは道祖神の火祭りともいうらしい⭐︎
秋の重忠壁芝居、今日から正式スタートしました。すでに何日か前から展示してます。万騎が原地域の方々が見に来てくださってまして嬉しい😆 色とりどりの紅葉散る秋バージョンの重忠壁芝居、ぜひお楽しみください。感想ノートにコメントもお待ちしてます⭐︎
大雨に打たれて花がつぶれたシドメ 雨で花びらが落ちきらなかったのは勁さでしょうか 鎌倉時代からこのあたりの野原に自生するというシドメをみているとひとりの人生の短さ自分のちっぽけさ加減がよくわかります シドメシドメといううちに思いがけないシドメつながりができつつあるようです⭐︎
畠山重忠終焉の地万騎が原には昔からしどみが沢山自生していましたが、二俣川の戦であまりにも馬蹄に激しく踏みにじられたので、片割れの実しかつけなくなったと言い伝えられているそうな うちの庭にも朱色のしどみがあります しどめ、草木瓜とも 父は知っていたのか自生だと言ってました⭐︎
明治25年10月、二俣川界隈に建立された畠山重忠遺烈碑の碑文です 地元の方が作ったペーパーをみつけました 何度か移設され、万騎が原のいまの地に落ち着いたらしいです 冤鬼啁啁として今猶河畔に彷徨すとや 忠厚忠烈の人への想いを感じ、まちには春一番の気配がします⭐︎
畠山重忠と北条義時の戦があったころには一帯に自生していたという朱色のシドメ いま近所のお庭でシドメを見かけるのはわずかに3、4軒 公園をあちこち探しましたがシドメの姿はなし 古くから自生する可憐な花を大切に植えて増えてほしい。。 ウチの庭に残るシドメ 今日は雨に濡れてます☆
涼しくなるのを待ってお地蔵さんへ。お香を焚いてしばしゆっくり。重忠のお地蔵さんでしょう?と声がした。どこかで見ていたらしい。香の箱をものめずらしそうに覗きこみ、いい香り今日お参りするといいんですかと呟きながら手を合わせた。最後にニコッとしてお線香ありがとうと言ってくれた🐴^ ^
地元のむかしを伝えるこぼれ話を書いている。書いて伝えていいのか、やめといたほうがいいのかわからない話に出くわす。考えたところでモノサシがない。土地の古い人にポツポツ聞きながらああそうかと行くだけ。不定期地元マガジンふまほん。万騎が原を馬騎が原と書くひとがいる。リアルに合ってる🐴
あそこに遺烈碑あるでしょ?と指差すと、重忠?ああ?あそこのお墓ねっと返される。ずっと前からあそこになにかあると気づいている。それで十分。わたしも幼いころからそうだった。明治25年10月に建立されて130年。少しサビが出てるけど土台からなにからしっかりビクともせずに建っている🐴