本当の自分なんて、探したって出てこない。そして、偽ってる自分なんてものも、ほんとはない。そんなの、ない。ぜーーんぶ自分。自分の中にいる、たくさんの個性は、小さな子どもたちのようなもの。出来が良い悪いじゃないし、価値の高い低いもない。まるごとぜーんぶ、愛してあげよ(*^^*)
だいすきなあの人が、どうしたら喜んでくれるのかわからなくて、なんだか悔しくて切なくなる。あの人のにっこりとした溢れる笑顔をみたいのに、わたしにできる事がわからなくなる。伝えることはとてもシンプルで、だけど伝えられることと欲しいものを贈ることは違ってたりもする。人がいちばん奥深い。
人ってそんなに浅くないよ。飾りの言葉も、表だけの言葉も、ちゃんとわかる。わたしの言葉は、そんなに軽いものじゃない。魂込めて、伝えるんだ。重ねる一言一言が、そのまま自分の重みにかわる。
パーソナルスペースが人それぞれ違うように、自分にとっての心地よさは自分自身にしかわからないところにあるのだろうな。人目が気になる日本人なんて言うけど、本当にいちばん気になってるのは、自分の中にある、自分の目なんだよね。
感謝が大事っていうけどね、本当にそうだなって思う。きょう、憧れの三大美女のひとりとお茶をさせて頂きました(*^^*)そしたら彼女ね、感謝で毎日泣ける、号泣してるて言っててね、あぁわたしもおんなじだーって思ったのね。ありがたくてありがたくてたまらないものはすべて、今ここにある奇跡。
こわいことがある。こわいものがある。ぜーんぜんオッケーだよ!だって、それって自分のこと守りたいてことだよね。愛してるってことだよね。素敵すぎる事実です^ ^ ただ、こわいを超えた向こう側にも、そんな大事な自分自身にとってのさらなるうれしいや楽しいが待ってることも知っていて^ ^
これにはお金払いたくないなーって思って、次回分のキャンセルの連絡をしたら拒否を受けた。人生経験料として支払うけれども、これをマイナスの気持ちで払うのか、感謝を乗せて支払うのか、それがなにかの分かれ道のような気がする。なにかがなんなのかは、うまく説明できないけどね。笑
ぽーい、ぽい!余計なものなんて本当は何もないけれど、持って走るのに重いものは、その場に置いていくことにする。身軽になって、走りたい場所に、いっそ裸足でかけていく。手放すってそういうことだと思うのだ。いらないものはないよ。ただいらなくなったもの、今はいらないものぽいっと手放すだけ。
完璧も完全も、どこにもないんだって、夜更けの道を歩きながらふと感じた。だけど、今ここで感じてる世界の一瞬一瞬は間違いなく完璧に感じる。不完全なこと、未熟なことがむしろそれを感じさせてくれてる気がするのです。寂しいもかなしいもあるけれど、わたしはいま、しあわせです。
人ってついついうっかりさん。行き詰まると頭で考えすぎちゃって、硬く重くなってしまうのだ。けどね、そんな時こそ、ただ楽しむために走ってみればいいみたい。汗かくことが好きだなって感覚が戻ってきたらもうそれは、風が吹いてきた証だね。
素直さをもってるとそれだけですべてはうまくいくなと実感する。こどもの頃の当たり前は、人間関係が広がるたびに忘れて薄れてわからなくなる。だけどね、自分と会話を深めるたびに、素直さは徐々に濃くなって、叶ってばかりの世界になるよ。ずっと持ってる宝物。わたしにしか見えない世界を楽しもう。