昔の日本人は湯氣に蚯音や蟹眼、連珠、魚眼、松風、雷鳴そして雷鳴の頂といった名をつけ、その聲を愛でた。湯の聲に耳を傾けなくなって久しい。電氣のなかの出来事に名をつけるのに忙しかったからであろう。今はもうたしかな湯の聲をだす釜も釜師も少ない。それでも私たちは湯の聲を聴くべきなのだ。