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太郎さんの”運命孝行”という言葉に出逢い私の運命とは何であったのだろうかとふと考える。私はいつも中途半端に”親孝行”を期していたがそれは間違いだったのだろうか。自分の決意をつらぬけなかった無力な頃に相談したのが間違いだったのだろうか。私は果たして”運命孝行”できているのだろうか。

人生で両親から大きな反対を3度受けた。1度目はドイツから帰国後にイギリスの全寮制に行きたいと言った9歳の頃。2度目は高校受験。ここで私の親孝行と優等生寄り人生は終わり遅れてきた反抗期を迎えた。3度目は音大受験、音楽で食えるわけがない、と言われた。私は両親の無理解に完全に失望した。

代々の家業も継がず好き勝手しているが、何度かそのために進路を悩んだことはあった。その最たるものが高校受験で都内に進学することだったが、あろうことか高校から東京に出た母も、父も猛反対。親孝行しようとしているのになぜ親に反対されるのか不思議でならなかった。子の心、親知らずだと思った。

未だにせめてささやかな”親孝行”をさせてほしいと願ってしまう自分がいるが、これは子の本能のようなものなのだろう、とふと思うようになった。もしも自分を貫き”運命孝行”することが結果としてどこかで”親孝行”に結びつくのだとすれば、その方がむしろ適正であり、自然なことなのかもしれない。

ただひとつ救いなのは、その時々信じたものに目的はなかった。音楽も言葉も目的ではない、表現と共にある。自分では堰き止めることのできぬ、放っておいても自然に溢れくるもの。方法や技術や訓練や鍛錬はあるがそれらは目的のためではない。音楽それ自体、言葉によって語られることそれ自体のためだ。

2023/3/15: まいにち だれかの ひとことを こころに。