人間の「理性」を過度に信用するのは危険である 理性を正しく働かせるのは自らが何者であるかに確信のようなものを覚えるほどの成熟しきった人間だけだからである 人間はいくらでも間違える欠陥生物である そんな不完全な生き物が長らく遺伝子を残し続けてこれたのは伝統というのが支えてくれたから
お陰様とは結局誰かのためにするものではなく、自分のためにするもの、つまり己れの生を支えるためにするものなのかもしれない。生きにくい時代に生きやすさを授ける処方箋なのかもしれない。そうと知れば、歴史を学ぶ目的もより明確になるだろう。歴史を学ぶことは無気力を脱する明確な手段である