天正15年(1587)6月11日は秀吉が戦火で荒廃していた博多の再興を命じた日。貿易港だった博多は大いに栄えていたため戦国時代は大友、龍造寺、島津といった諸大名による争奪戦の的となり荒廃した。九州平定した秀吉が石田三成らを町割り奉行として現在の道筋の原型となる都市整理を実施した。