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【百年ニュース】1920(大正9)4月17日(土)前年の李太王高宗の逝去で延期されていた、大韓帝国最後の皇太子李垠(23)と梨本宮方子女王(19)との婚礼が、4月28日に執り行われると発表される。李垠は陸士29期で当時は歩兵少尉。婚礼前には朝鮮独立運動家の徐相漢による李王世子暗殺未遂事件が発生した。

【百年ニュース】1920(大正9)4月28日(水)鳥居坂御用邸(李王邸)で大韓帝国最後の皇太子李垠と梨本宮方子女王(李方子)の婚儀。1921長男李晋誕生(夭逝)。1931次男李玖誕生。戦後方子は韓国に帰化。知的障害児施設「明暉園」と養護学校「慈恵学校」を設立。「明暉」は李垠雅号、「慈恵」は方子雅号。

【百年ニュース】1920(大正9)6月8日(火)李王世子暗殺未遂事件公判開始、初めて国民に事件が知らされる。徐相漢(20)は4月上旬今井幾朗(16)と植村金作(16)を誘い赤羽の荒川橋梁下で火薬を調合し爆弾を製造。李王世子婚儀に爆弾を投じ朝鮮独立の気勢昂進を図るも事前に発覚。

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【百年ニュース】1920(大正9)4月19日(月)「宋秉畯来訪、今回李王世子成婚を期として宋秉畯、李完用など昇爵のこと内定しありしが、宋は朝鮮人心動揺の際、殊に日韓合併の本意より考察するも、この際は昇爵などの詮議なきこと得策なりと切に辞退せり(原敬日記)」

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【百年ニュース】1920(大正9)9月22日(水) 李王世子暗殺未遂事件主犯の徐相漢(21)の控訴審で禁錮4年の判決。爆弾製造を手伝った植村金作(16)は罰金20円。徐は刑期満了出獄後もアナキストとして地下活動するが,1931満州事変を機に転向,豊島区高田南町2丁目472番地(現在の白十字本社付近)で古物商を営む。