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「わかってあげたい」と考えるのをやめよう。 目の前にいる、その誰かの苦しみを。 わたしにわかることなら、 わかりたいと願うまえに、とうに理解できている。 それなら、せめて居場所になろう。 頭からもぐりこめる、ふかふかの毛布になろう。 大の字に寝転べる、陽のあたる野原になろう。

もっと上手く書きたい……って、思わなくて大丈夫。 「もっと」の氣持ちは、「これじゃ駄目」という思いを少し含んでる。 わたしの書く言葉を、 わたしが誰より大切にしよう。 信頼しよう。 信頼されたら、言葉は自然に育っていく。 筆力という、やさしい力になっていく。

人が、自分の失敗を反省できるのは、 正しく叱られたときではなくて、 やさしく諭されたときでもなくて、 ただ、笑って許されたとき。 なあんにもなかったみたいに さらさら笑って、 なあんにもなかったみたいに ただ許されたとき。 そのとき失敗は、わたしたちの本当のたべものになる。

noteの投稿を読むのは、なぜ楽しいのか。 知人から届いたLINEのメッセージを、つい、(なんとなく読みにくいなぁ)と感じてしまったあとで、ふと納得。 「相手に伝えたい」という氣持ちの熱量。 noteの投稿は、それが圧倒的に大きい。 それがnoteの魅力で、たぶん読みやすさ。

みんな自由に書いているなぁ。 言葉に自由があふれているなぁ。 わたしも自由に自由に書こう。 昨日より今日。 今日より明日。 書くことで、書くたびに、わたしは自由になっていく。 そんな言葉を書いていこう。 解放しよう。 言葉を、わたしから。 解放しよう。 言葉で、わたしを。

ふとさみしくなったとき、わたしは自分が「集合体である!」と思いだす。 わたしの体を構成する無数の細胞。ひとつひとつが、ちゃんと命を持っている。 だからわたしは、ひとりでいても、ひとりじゃない! そんなふうに、きっと地球も、小さなわたしを思ってる。 大切に、思ってる。