天正13年(1585)11月13日は家康の重臣・石川数正が秀吉のもとへ出奔した日。家康が今川氏の人質時代から側近くに仕えた重臣。外交窓口として対秀吉との交渉の任にあった。数正出奔により徳川の軍制などの機密が漏れた家康は武田流を取り入れていく。出奔の理由は諸説あり定まっていない。