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社会課題を映し出す『こうのとりのゆりかご』

一人の成年の告白に影響を受けて、引き続き『こうのとりのゆりかご』について書いてみます。

https://note.com/s_kohyama/n/ne2509a7d74ea

15年前、熊本市長だった私は『ゆりかご』の違法性の有無を確認しつつ、「救われる命があるならば」という願いを込めて設置を許可しました。

『ゆりかご』は「命を救う最後の砦」としての評価の一方で、「無責任な親を増やすだけ」「子どもの出自を知る権利を奪う」といった指摘・批判もあり、賛否両論あります。それは15年前も今も変わることはありません。

彼が言及していたように、『ゆりかご』によって救われた人たちがいることを、私自身も確信しています。そのことは、最期まで信念を貫かれた慈恵病院の蓮田前理事長の御霊前でも申し上げました。

それでも賛否両論があることに変わりはありません。家族観や宗教観にも関わることだけに難しいところではありますが、賛否を越えてもっと議論を深める必要があります。昨日の記事やドキュメンタリーを見た人たちのコメントを読んでもそう感じました。

ここで改めて伝えたいことは、『ゆりかご』の評価は預けられた159人の事例だけでは測れないということ。思いがけない妊娠や出産に関する年間約7000件の相談が、メールや電話で慈恵病院に寄せられています。その中にも救われた人たちは少なくありません。

『ゆりかご』とは、社会の課題を映し出す鏡のような存在だと思ってきました。親子の絆も含め、子どもの人権、孤立した女性、無責任な男性、児童虐待、DV、貧困、児童養護施設や里親など社会的養護、養子縁組等々、それらは決して他人事ではないはずで、あまり光の当たらないこれらの課題を映し出してくれる貴重な存在なのです。

だからこそ『ゆりかご』を孤立させてはいけないと思っています。孤立すれば、先ほど例に挙げた社会課題を具体的に捉える機会を失うことになります。『ゆりかご』が孤立するということは、悩みを抱えた女性が行き場を失い、子どもを含めて孤立させることになります。そして、一人の成年が勇気を持って教えてくれたように、『ゆりかご』単独では子どもを救うことはもとより、幸せにつなげることも難しい。孤立させることなく、しっかりと繋がっていかなければなりません。

彼の告白は、あらためてそのことを多くの人たちに気づかせてくれた、意義深い行動でした。私も、彼とは異なる立場で、『ゆりかご』を取り巻く社会課題についての発信を続けていくことにします。

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