好きすぎて怖かったあの頃

会うたびに恋に落ちて、またねと言うたびに失恋したかのようだった。
それだけ好きだった人と、彼氏彼女と呼び合うことはなく、自然消滅した。連絡は取れなくなった。

キリスト教徒のあの人は、悩みながら仏教徒というアイデンティティを家族から押し付けられた私の視野を広げてくれた。
ゲイを自称したあの人は、私を彼女未満として「大切に」扱った。周りもそうみていたと思う。
もらった手紙は今も捨てられない。赤い封筒におさまりきらないスキがあふれてくる、でも一言もそんなこと書いてない手紙。小さくて書き慣れてないのに、がんばって書いたのが伝わってくる手紙。

眠れない日なんてあるようでなかった。
夢の中で悩んでいたからだ。

家出をすれば、誰よりも早く一緒に一夜を過ごした。
悲しくて片道2時間以上かけて来てもらったこともあった。
痛いくらい鼻をつぶされた最悪なキスだって、悪くない思い出だ。

幸せなら幸せなほど、失うのが怖くて、そしてすぐ壊れそうで、私たちは怖かった。
1時間でも2時間でも、駅で突っ立って話していた。
同じ方向に帰ることなんてないくらい、私たちは路線図の端と端に住んでいた。

会えば苦しいとわかっているのに、
会いたくもないのに、
ふと偶然会いたいと幾度となく思う。
私の自宅近くに引っ越してきたあの人と会うことはないまま、私はあの人の実家近くに引っ越してきてしまった。
この街で、あの人は、何を考えながら育ったのだろう。
事実婚、婚姻届提出、妊娠出産を経た私は何を話したいのだろうか。「幸せ」を手にした今、あの人がどうか幸せであることを、私は星に祈るのだ。

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