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伝える難しさと希望

こんにちは
ホメオパスのこおろぎゆきこです。

先日、小樽で開催された山田征さんとアーサー・ビナードさんの対談に参加しました。
「ご存知ですか、自然エネルギーのホントのこと」と題して、電氣(電力)について話されました。

「”自然”とか”クリーン”と称する新しい電力は従来の電力なしでは、電氣の確実な供給ができない」ということ、そして、山田征さんご自身は電気を使わずに生活されているということ、その他さまざまなお話をされていました。

その後の質疑応答で、少し氣になったことがありました。
「スマホやパソコンがないと仕事ができない」
「車でガソリンを使いたくないけど、電氣がダメならどうしたらいいのか」
「スマホが発達したおかげで障がいのある方の生活が格段に向上したから、電氣も悪いことばかりではないと思う」
質問者からこのような言葉が出てきました。

確かに山田征さんのお話しの中で「わたしたちは本当にこんなに電氣が必要なのでしょうか?」という問いかけはあったのですが、電氣を否定するようなことは発しておられませんでした。
が、それぞれの電力の欠点、電気料金に加算されている費用のことなどを聞かされるうち、まるで「電氣はダメ!」と言われているように感じたのだと思います。

もちろん質問者の方々とのやり取りで誤解をとき、納得のところに落ち着いたが、それを見聞きしたときわたしが驚いたのは、「受け取る人次第でこうも変わるんだ」ということ。
わたしも一緒に行った友人も「電氣はダメ」とは全く受け取らなかったけれど、質問された方々はそうではなかった。
考え方は人それぞれ当たり前、なのですが、いざとなると忘れてしまいがちなわたしでした。

伝える側のとき、わたしも同じ場面に遭遇します。
自然療法のお話をすると、まるで現代医学が悪いモノのように捉えて「何が何でも病院には行きたくない」となってしまう方もいます。

病院に行かないならどういうことが必要になるかを知って選んでいるのであればもちろん良いのですが、行かずして同じように「治してほしい」は通りません。
なぜなら、自然療法は身体の治癒力を触発するものだから、十分な治癒力を保つための手間、身体を労わることがいるから。

思考や生活を変えずに「レメディさえとれば治る」では、いずれ再発や別の深い病気を呼び起こしますし、その考え方自体が対症療法である現代医学と同じです。
現代医学の否定ではありません。
療法にも得意不得意があり、できることできないことがある、ということです。

昔のわたしは「何が何でも病院には」の声を聴くとガッカリしていましたが、いまは違います。
自然療法も現代医学もどちらも使える現代の日本に生きられる幸運を感じつつ、インドのように多様な療法から自分で選べる社会したいという希望を持っています。

サインをいただきました

写真は、山田征さんと対談されたアーサー・ビナードさん翻訳の宮沢賢治著「雨ニモマケズ」。山村浩二さんの絵も雰囲氣にピッタリ。


最後までお読みいただきありがとうございます。
ではまた♪

こおろぎ ゆきこ
Holistic Room はしわたし/日本ホメオパシーセンター羊蹄倶知安


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