推し事は沼で楽しくて苦しい

きっと多くの人にとって、私という存在は無意味だ。

数日前にあった中学の同級生はまだ私を覚えていてくれているからあのコにとって意味のある存在なのかもしれない。
今日授業中プリントを見せてあげたということは、見せた相手にとって意味のある存在なのかもしれない。

でも。私がいなくなったとき代替がきくのかというのが分かりやすい。と思う。
プリントなんて誰でも見せてくれるしね。

今日はなんの話しかといえば、私がインディーズのバンドのライブに通っているということ。バンド側からしてみれば、ただの客の一人に過ぎないのだということ。

私の推しはバンドを3つ掛け持ちしている。そこで、推しは私を誘えば、3つのバンドの客を一気に増やせるということになる。なんて都合のいい女。とは言ってもこの思考は私の独断。実際の推しの脳内など分からない。

ただし、このことは私が最近推しに会いたくない病を発症しているのとは関係のない話。

人間というのは、無意識に期待してしまうものだと思うのです。それがどんな方向の期待かは人それぞれ。私の場合は自分もステージに立つことに関連する期待、希望。しばらくして苦しくなって、虚無になる。空元気で生きるのは意外とエネルギーが必要で、時間感覚が掴めなくなって、つまり、私はしんどくなってしまった。

推しから「最近来てないね、会えてないね」と連絡が来れば別だが、そんな優しい世界じゃないし、優しくしないでほしい。
ちょっとした疑問を送った返事で、不意打ちに「お疲れ様ー!」などと言ってこないでほしい。

そう、そこは沼。