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「主婦は家庭の女王であれ!」

こっしーとのトークライブ

こっしー(越地清美 Kiyomi Koshiji)さんとLive配信を行いました。
通信状態かアプリの不具合かでアーカイブが残らないということが起こりました。

私の記憶の中を遡りながらたどります。メモもあまりとっていなかったので
話していた内容を私の記憶を頼りに文字に起こしました。
私の言葉に変換されております。
こっしーの話を聞いたハッシーのフィルターの掛かった回顧録です。

はじまりはじまり・・・・・・・・・・・・・

テーマは「主婦は家庭の女王であれ!」君臨するための知恵をこっそり教えてもらった。
そもそも、主婦ということでテーマとしたが、主婦だけじゃない、光があれば影がある。
シャドーワーク(分かり易く活躍している活動とは逆にサポート的当たり前のようになっているが、とても大事な仕事の一つが家事だ、社会的な仕事でも掃除やゴミの収集の人など)リモートが増えて旦那が家にいることが多くて、喧嘩が増えた、経済的な理由から、シャドーワークの人がつい控えめになっている自分に気づくこともある。
そういう人に向けて「主婦は家庭の女王であり!」と今日話すのだ。
まずは言いたい。あなたはクイーンなのだ。
働いてきなさい!ここは私の城(そして貴方の城)そこまでは言わないが、偉そうにするのではなく、威厳をもって自分を持ち、すくっと立っているイメージ、
そもそもお金を稼ぐ、入ってきたものは二人のものなのだ、最近はあまりいないかもしれないが、「俺は金を稼いでいるのだ」という人がいたら、皿にお金を置いて、箸を添えて出してみたらいい。一膳の食事になるには献立を考え、材料を仕入れ、加工し、調理し、盛り付けをし、片付けまでおこなったりする。
 お金で外食もできるだろうが、高くつくし、栄養のバランスも悪くなる。だからこそ、あなたの価値を自分で認めるのだ。なにか伝える時には堂々と伝え、相手の言い分も聞く、いろいろ喧嘩もあって当然だ。その上で合意形成を行う。そうすれば、旦那さんにも優しくなれる自分も結果としてと出てくるかもしれない。

そのためには
1、女王として自分と誓約を交わすべし
例えば、小さな違和感をないがしろにせず、自分を安易に譲ったりしない。自分を大事にする。
状況のせいにしないで、自分で選択する。私は○○することにした。
 それがない女王はプレイとしての女王ごっこだ、それは否定はしないが、自分と誓約を交わし、生きている人とでは立ち振る舞いや立ち方、話し方、腹の座り具合に違いが出てくる。

2、交わした誓約は誇りにかけて守るべし
とはいえ、言葉は言葉である。言葉に縛られてはいけない。あなたは言葉以上である。
自由になるために誓約を自分に交わす、でも縛られない、
ルパンのように・・・なるほど、状況が変われば、「えー俺そんなこと言ったっけー」と考えを変えて次元をあけれさせる。それでも大事なものは何も変わらない。五右衛門は眉ひとつうごかさない。仲間はそれに同意する。
言葉なんて不自由なものさ、言葉の解釈なんてものはいつでも変わる。でも背後に流れているもの、本質の流れのようなものは息遣いとして感じるもの、ゆるやかで、愉快でありたい。
その上で交わした誓約は誇りにかけて守るのだ。

3、領民には寛大に情けを持って振る舞う 
人を人として見て大事に扱う、愛情深く接すればそれは帰ってくる。
それは自然に対しても同じ、庭の一本の草や木に気をかける。その気持ちは相手からも帰ってくる。
地球の中に住んでいることを忘れがちだけど、土が食べ物をはぐくみ、自然が空気の循環をつくる。
そこに愛情深くあること、それは自然だけでなく、目の前のコンビニに店員さんにかもしれない。
我々は繋がっている。

踊薬リトリートは自然の恩恵を受けている。
自然に支えられて、ほぐされて、癒されて、自分を開放する。

私から見るとこっしーは厳しく、やさしい。その幅がとても広いのだ。
「それは自然の中にいる自分だから、自然は厳しいものだし、そしてやさしいものだから」遊びがあるのよ。
踊薬リトリートでは説明が少ない。シンプルな言い方で伝え、自分で考えさせ、やってみてと声をかけていたよね。
人をコントロールするところが本当に少ない、お盆ファシリテーション。
この上で自由にやってみてと場所を用意して、その人にインスピレーションが起きてくるように任せるてたね。

モデルがいるのよ アンナ・ハルプリンがそういう人だから


「地球の中心に立っている」そう感じたこっしーがシンプルにみんなの前に静かに立ってそっと話す。
言葉以上のものが伝わって、参加者たちは描き、踊り、表現する。自分が感じたものを感じたままに
レットゴーを許す。そんな場を作っている。
それによって自分のおりゃーやりたいとおもったららやればいいのだーということを楽しめたのだ。

こっしーにつながるには何かご縁でつながると思うので、読書会など細かい話はやめておこう。
今すぐは募集していないようだし、
リトリートはまたいつかやるだろう。タイミング的にこの時にという人が集まるのだろう。
私も去年に山梨のリトリートに行っていたら、今年は行かなかったかもしれない、ベストタイミングなのだ。

スタンドFMで話を聞いたこと ほんの一部しか書き表せていないことを申し訳なく思う。
その上でこの流れを受け入れよう。全てを受け止めてはいない自分を許し、ここまでは書けたことを誇ろう。
9月24日の14時の瞬間はあの瞬間だけだったのだ。 いつでも残せると思ってはいけないよ。
そう言われたような気がした。
この瞬間にすべてをそそぎこめ、我々にはこの瞬間しかないのだから、
でも遊びを忘れるな「またな」とルパンのようなイタズラな微笑みを想像している。


こっしーのホームページはこちら



 


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