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宇多田ヒカル 「BADモード」全曲レビュー

先日、自身の誕生日でもある1月19日に配信リリースされた宇多田ヒカルの通算8作目となるオリジナルアルバム「BADモード」。
リリース以来多くの音楽ファンの間で話題となり、彼女のこれまでのキャリアの中でも屈指の完成度の作品としてたくさんの人の耳に届いている様子は、長年彼女の作品を聴き続けてきた自分のような人間にとって非常に誇らしい瞬間でもありました。
宇多田ヒカルというアーティストに関しての詳しい説明はもはや必要ないかなと思うので割愛しますが、今回のアルバムは長年彼女の音楽を聴き続けてきた自分のようなファンにも、存在はもちろん知ってるけど聴いてこなかったという人にも、何か引っかかるものがある面白い作品だなと思ったので、個人的な視点から考察しながら収録曲をそれぞれレビューしてみたいと思います。
今回は彼女が出演したラジオ番組での本人解説や、Billboard誌でのインタビューなどを参照して文章を書いていきたいと思います。
より詳しい内容が知りたい方はぜひそちらもチェックしてみて欲しいなと思います。


それではまず1曲目からスタートです。

1. BADモード

今作のタイトルトラックとなるオープニング曲。
「BADモード」とは気分が乗らなかったり落ち込んでる時の事だそう。
誰にでも落ち込む時期はあってその逆に絶好調な時期もある。
このアルバムの制作期間中は世界的に「BADモード」な時期で、パンデミックの影響で彼女も周りの人も、誰しもが色々と大変な思いをしながら過ごした期間でした。
この2〜3年の期間で彼女は、自分にとって大事な周りの人達とお互いにどう支え合うか、周りの人が辛そうな時に自分は何をしてあげられるか、そして自分自身に対してもどうしてあげるのが良いか、そういった事を考える事が多かったそうです。
この曲はそんな困難の日々の中で彼女が見つけた何気ない幸せと愛について歌った楽曲です。
冒頭で彼女はふぅっと脱力するようにため息を吐いています。
アルバムジャケットでもとてもラフな格好をしていますが、6歳の息子さんと生活する1人の母親としてのリアルな一面が表現されてるような印象を受けましたね。
サウンドはとても柔らかくリラックスした質感で、多幸感に溢れたみずみずしいポップミュージックといった感じ。
トランペットの音色やパーカッションのリズムはどこか南国のリゾート地のような雰囲気を思わせるような。
曲の中盤で一度テンポを落としてガラッとアンビエントな質感に変わるところがあるんですが、そこから再び後半に向けてどんどん音数を増やして盛り上がっていく展開がとにかくカッコいいんですよね。
パジャマのままでネトフリ観て、ウーバーイーツ頼んで家の中で過ごそうか、という今の時代のありふれた日常の様子を描きながら、この「BADモード」な時代にとってその日常がどれほど大切か、という最愛の存在への想いを真っ直ぐ綴った歌詞が心にじんわりと沁みてきます。
面白かったのは「Here’s a diazepam We can take each half of」という部分。
精神安定剤や抗不安薬として知られるジアゼパム。
不安も恐怖も2人でいれば半分ずつに分けられる、気分も軽く出来るという表現は母親になった彼女ならではだなと思いましたね。
息子さんはこの曲にヴァイオリンで参加してるみたいで、将来は歌手になりたいとも言ってるんだそう。

今よりも良い状況を想像できない日も私がいるよ

母親の無償の愛に溢れた素晴らしい楽曲でアルバムは幕を開けます。

2. 君に夢中

ドラマ「最愛」の主題歌として彼女が書き下ろした楽曲ですね。
曲自体は今作の中でも最も古くかなり早い段階で出来ていた曲だったみたいなんですが、歌詞も含めて中々形にならずしばらく放置していたんだそう。
そんな中去年久しぶりにニューヨークに帰った時にプロデューサーのA.G. Cookと会い、彼のアイデアやニューヨークの空気感が加わり完成したという経緯があるそうです。
A.G. Cookというと2010年代に登場し、レーベルPC Musicを立ち上げたハイパーポップの基礎を作ったプロデューサーとして知られてますよね。
サウンドはとにかく無駄を削ぎ落とした音数の少ない空間的な響きが印象的で、ひたすらリフレインされるピアノのフレーズが次第に熱と迫力を帯びていく様は、美しくもあり少し不気味にも思えます。
曲が進むにつれて様々なタイプのシンセの音色が重なりヘビーな低音がうねり出す展開はA.G. Cookならではのサウンドというか、シンプルに美しいメロディーの楽曲に一癖も二癖もある仕掛けをいくつも施す感じが彼らしいなと思いましたね。
彼女の楽曲ではよくある事なんですが、この曲では顕著に歌詞のライミングが印象的です。
夢中、タイプ、déjà vuという感じでひたすら母音が「〜u」で終わる単語で韻を踏みまくる事で楽曲にグルーヴが生まれてますよね。
ドラマ「最愛」は何もかもを犠牲にしてでも守りたい存在に対する様々な愛の形を描いた作品でしたが、この楽曲でも自分自身を見失う程に夢中になってしまう存在に対する少し行き過ぎているレベルの盲目的な愛の形が表現されてます。
スリリングなサウンドと呼応するように歌詞の世界観も中々に狂気的というか。

来世でもきっと出会う 科学的にいつか証明される

このフレーズを最初に聴いた時はちょっと背筋がゾクっとしましたね。
一見シンプルなラブソングに思えるんだけどよく聴いてみると一筋縄ではいかない、宇多田ヒカルの表現者としての幅の広さを思い知らされる一曲です。

3. One Last Kiss

2021年に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のテーマソングとしてリリースされた楽曲。
この曲を最初に聴いた時に、宇多田ヒカルはまた別次元のフェーズに突入したなと確信した、彼女の新たな代表曲と言える一曲ですよね。
今回のアルバム全体で印象的だったのはシンセサイザーの存在感でした。
前2作は生音重視というか、特にストリングスの響きが非常に印象に残る作風だったのに対し、今作はその優雅でゴージャスな響きの部分もシンセが役割として担っている感じですよね。
パンデミックの影響で部屋で作業する事が多かったのもその要因の一つだとは思いますが、様々な音色のシンセのサウンドが自由に飛び回りカラフルな世界を描いているのが今作のサウンドの特徴な気がします。
その筆頭とも言えるこの曲ですが、「君に夢中」と同様に共同プロデューサーにA.G. Cookを迎えています。
曲の後半、シンセが何層にも重なり美しいレイヤーとなり、さらにヴォーカルエフェクトも加わって盛り上がりの最高潮を迎える展開は、A.G. Cookと宇多田ヒカルの素晴らしい化学反応の結果ですよね。
LA在住のA.G. Cookとはこの時は直接会えずデータのやり取りのみで楽曲を制作したみたいなんですが、完成版を確認したところA.G. Cookがベーストラックを入れるのを忘れてたらしく、急遽バンドメンバーのベーシストに生のベースを演奏してもらい曲に追加したんだそう。
結果的にそちらの方がよりグルーヴ感が増し良いバージョンになったと語っていましたね。
歌詞のテーマは「喪失」についてだそうで、数年前に母親を亡くした事の悲しみや痛みを忘れたり捨てたりするのではなく、それを受け入れて抱えて生きていく事の意味をこの楽曲を通して知る事になったんだそうです。
歌詞の中に出てくる私だけのモナリザや、忘れられない人は彼女の母親の事だと捉えるとまた聴こえ方が変わってくる気がしますね。
クラブミュージックとの接近も今作のキーワードの一つですが、ヴォーカルやメロディーの力強さに引っ張られ凡庸なダンスミュージックに収まらない至極のポップミュージックへと仕上がった、今作の中でもトップクラスにハイレベルな完成度の曲だと思います。

4. PINK BLOOD 

アニメ「不滅のあなたへ」のテーマソングとなった楽曲ですね。
タイトルの「PINK BLOOD」という言葉は造語だそうで、友人の家で家飲みしている時に出してもらったカクテルがピンクシャンパンとブラッドオレンジを混ぜたもので、それが印象に残っていてその2つを組み合わせた言葉として適当に曲名にしたんだそう。
アーティストが楽曲を制作する際、よく仮タイトルを付けてデータとして保存したりする事がありますが、これはそれがそのまま本タイトルとして採用された形ですね。
小袋成彬との共同プロデュースで制作されたこの曲はミディアムテンポのエレクトロ〜R&Bなサウンドで、シンプルで少ない音数ながら奥行きを感じる空間的な構造なのが特徴的でしたね。
ただこの曲はなんと言っても歌詞の凄さが光る一曲です。
全編にわたってパンチラインの応酬というか、金言・名フレーズが絶えず押し寄せてくるような凄さがあります。

誰にも見せなくても キレイなものはキレイ もう知ってるから
心の穴を埋める何か 失うことを恐れないわ
自分のことを癒せるのは 自分だけだと気づいたから

TwitterやInstagramなどのSNSで自分を飾って表現する事が当たり前のようになっている人達へのメッセージのようなこの歌詞。
SNSとの付き合い方が心の健康を損ねる原因の一つとして問題になっている現代への警鐘とも捉えられますよね。
彼女自身、SNSとは今は距離を置いているんだそうで、Instagramでも落とし物の画像ばかり載せている事でも知られてますよね。
その後も

私の価値がわからないような人に大事にされても無駄
自分のためにならないような努力はやめた方がいいわ
後悔なんて着こなすだけ 思い出に変わるその日まで
王座になんて座ってらんねえ 自分で選んだ椅子じゃなきゃダメ

現代社会での生活に疲れている全ての人に対するエールというか、頑張らなくていい、一回休んでもいいと頭をポンと叩かれて慰められているような感覚というか。
それはそれはありがたいお言葉が次から次へと登場してくるんですよね。
この時代を生き抜く全ての人に送られた最高のヒーリングミュージックです。

5. Time

2020年のドラマ「美食探偵 明智五郎」の主題歌として書き下ろされた楽曲ですね。
この曲も「PINK BLOOD」と同様に小袋成彬が共同プロデューサーとして参加。
彼女はヴォーカルも含めてとてもリズムというものを大事にしているアーティストですが、この曲のリズムも彼女特有のものだなと改めて思いましたね。
イントロのドラムが入ってくる瞬間に一発で心を掴まれるというか、変則的でありながら違和感を感じない心地良いリズムが楽曲にクールなグルーヴを与えています。
この曲の歌詞のテーマは「後悔」なんだと思います。
カレシにも家族にも言えないことを打ち明けられる程の関係の相手との、友情とも恋愛とも違う、その枠には収まらない2人の繋がりを失ってしまったことへの後悔が綴られています。
この楽曲の仮タイトルは「temozolomide」だったそう。
これはこの楽曲制作中に彼女の親友が服用していた抗がん剤の名前で、その親友は新種の脳の癌が見つかり治療を行なっていたんだそうです。
つまりこの曲はその親友との関係について書かれた曲と捉えられるのかなと思います。
宇多田さんは昨年のインスタグラムのライブで、自身がノンバイナリーである事を明かしました。
性自認が男性にも女性にも属さないと考える人の事で、彼女の告白を機に一躍注目された言葉でもあります。
彼女はその時の告白について後のインタビューで、とても勇気のいる事だったと語っています。
男の子と一緒にいても女の子と一緒にいても、いつも不自然な感じがしていた。
周りの信頼出来る人にその事を話してもよく理解されず不思議がられていた。
でも世界中には自分と同じ感覚の人達がたくさんいて、それを抱えて苦しんでいる人も多くいる。
彼女が告白をしたのはそういった人達に自分が何が出来るかを考えて、少しでも力になれるかもしれないという想いからだったそうです。
自分はこの曲を聴いてFrank Oceanのアルバム「channel ORANGE」や収録曲「Thinkin Bout You」を連想しました。
元々美しかったラブソングが同性愛という視点で描かれていた事を知った瞬間から、より切なくより深く胸に響いてくるあの時の体験に近いものを感じたんですよね。
様々な背景を知ってから聴くとより深みが増すような、味わい深い一曲です。

6. 気分じゃないの (Not In The Mood)」

今回のアルバムで一つのトピックと言えるのがFloating Pointsの参加ですよね。
Floating PointsことSam Shepherdは宇多田ヒカルと同じくロンドンを拠点に活動しているプロデューサーで、ジャズをベースにアンビエントやエレクトロを上手く咀嚼して洗練されたサウンドを構築する職人のような人ですよね。
昨年サックスプレイヤーのPharoah Sandersとのコラボアルバム「Promises」をリリースしていて、その時に感じたのは音の引き算が非常に上手い人だなという事でした。
妖しげでダウナーな質感の響きが淡々と流れていくようなこの曲でも、曲の世界観を作るのに必要な最低限の音数で仕上げています。
そういったアプローチの仕方は2人とも共通して得意ですよね。
だからこそ今作のサウンドのキーとなる新曲3曲で彼を起用したんだと思います。
そしてもう一つこの曲で面白いのは作詞の仕方ですね。
「君に夢中」のところでも触れましたが、彼女は言葉の流れでもリズムやグルーヴを生みだすまるでラッパーのような韻の踏み方をする事が多いんですが、この曲は全く違うアプローチで作詞に挑戦した楽曲になってます。
アルバムの中で一番最後まで歌詞が書けていなかった曲だったらしく、締切日の昨年の12/28になんとか間に合わせようと作詞のために入ったカフェでの出来事をそのまま描写した内容になっているそうです。
彼女が実際に目にした光景や目の前で起こった事を、まるで小説を書いているかのようにスラスラと書き並べていて、これまでの彼女のどの曲とも違う新鮮な印象を受けました。
当時彼女は体調があまり良くなかったらしく、その時の落ち込んでいた気分や虚無感が、淡々と並べられた言葉の羅列によって生々しく表現されているのも面白いなと思いましたね。
彼女の歌唱も覇気がないというか、敢えて無感情で歌っているような感じの印象なのもこの曲がこのアルバムの中で異質な色を放っている要因なのかなと思います。
ちなみに曲の最後の方で聴こえる歌声は彼女の息子さんのもので、彼がアイデアを出して歌にしたものなんだそうですよ。
6歳にして既に音楽的な才能は開花し始めているようです。

7. 誰にも言わない

本人出演の「サントリー天然水」シリーズのコマーシャルソングとして起用された楽曲ですね。
先程も触れましたが今作は前2作とは違いシンセサイザーを中心としたサウンドの楽曲が多いのが特徴です。
「Fantôme」「初恋」共にストリングスを含めた生バンドの演奏が作品全体に温かみや肉感的なグルーヴを生んでいて、それが歌詞の大きなテーマでもあった出会いと別れ、喪失感、始まりと終わりというような様々な感情の揺れをより強く表現するのに効果的に働いていました。
大所帯のオーケストラや生バンドとのセッション的な制作の仕方は、それまで自分1人で作業する事が多かった彼女にとってとても挑戦的な体験だったそうで、レコーディングが終わった後のミックスの微調整や直しを行うポストプロダクションに非常に時間を費やしたと語っています。
今作はそこからガラッと変わり、電子音を主軸としたダンサブルな作風へと音楽的な変化がありました。
そんな中でもこの「誰にも言えない」は他の曲とは全く違う色を持っている楽曲です。
ボンゴやコンガなどの民族的なパーカッションのリズムや、色気のあるサックスの艶かしい音色など、生楽器の演奏によって生み出される生々しいグルーヴが楽曲に独特の湿り気を与えているような印象です。
プロデュースには「PINK BLOOD」や「Time」と同じく小袋成彬が参加していて、最終的なアレンジの方向性は彼のアイデアがかなり反映されたものになったそうです。
ちょうどコロナによるロックダウン直前にレコーディングされた曲で、スタジオに入り様々なセッションを試して制作出来たからこその仕上がりなんだと思いましたね。
「Can you satisfy me」の部分からガラッと質感を変える構成も洗練されてますよね。
歌詞の内容はかなりアダルトな世界観というか、人と人の繋がりを非常に大人な表現で言葉にしたものになってます。
前作「初恋」収録の「Too Proud」でもセックスレスについて歌にしていましたが、彼女のような大衆的な人気を持つアーティストがこういったテーマの内容の歌を発表する事はとても意味のある事だと思いますね。
海外ではわりとカジュアルに性愛について歌にする事が普通にありますが、日本だとどうしても抑えた表現にする事が多かったり、「本当の愛」みたいにキレイで美しいものとして解釈しようとする事が多いですからね。
そういう内容の歌のタイトルを「誰にも言わない」にするあたりが宇多田ヒカルっぽくて好きです。

8. Find Love

SHISEIDOのグローバルキャンペーン「POWER IS YOU」のキャンペーンソング。
宇多田ヒカル名義での全編英語詞の楽曲は新録としては初めての曲じゃないでしょうかね。
元々日本語で歌っていた曲を英語詞にして発表したものはいくつかありますが、この楽曲はその逆パターンですね。
ボーナストラックとして日本語バージョンの「キレイな人」が収録されてます。
2000年代初期のKylie Minogueを思わせるハウスポップのようなトラックが軽快で心地良い曲ですよね。
この曲も先程に引き続き小袋成彬との共同プロデュース。
曲が出来たきっかけは、イントロでも使われている不思議な響きのサウンドサンプルを聴いて、この音を使ってみたいと思ったのが始まりだったそうです。
曲の後半にテンポをグッと落として極太のベース音と共にビートチェンジする展開には痺れましたね。
彼女の作る楽曲はベース音がサウンドの肝や軸としてだけでなく、空気感を変える場面や勢いをつける部分など様々な役割を担う重要な響きになる事が多いですよね。
余談ですが昔宇多田さんが新しいスピーカーやヘッドホンを買った時、最初に再生するのはSnoop Doggの「Drop It Like It’s Hot」だとブログか何かで語っていたのを思い出しました。
その曲でベースの鳴りを確かめるんだそうで、それ以来自分も真似してます。
歌詞はセルフラブがテーマになっていて、無理して着飾ることなくありのままの自分を受け入れて前へ進もうというメッセージが込められています。
このアルバムの制作期間中はハウスを聴くことが多かったらしく、MoodymannやGlenn Undergroundを特に好んで流していたそうです。
確かに楽曲のテイストはこの曲とも近いですよね。
彼女は幼い頃から様々な音楽に触れ、それを自身の音楽にも反映させてきました。
両親がよく家で聴いていたDr. DreやSnoop Doggを気に入り、Jay-ZやThe Notorious B.I.G.、NaS、Mobb Deep、ATCQなどを好んで聴くようになったそう。
他に彼女が影響源としてよく挙げるのはPrinceやCocteau Twins、Radiohead、PJ Harvey、Aaliyahあたりですかね。
デビューの頃はもろに90年代のR&Bからの影響を感じるサウンドでしたが、作品を重ねるにつれ色々なジャンルの音楽にチャレンジするようになってきていて、彼女の音楽への探究心は本当に凄いなとつくづく思います。
ちなみにロックダウン中はSAULTやAmber Mark、Omar S、J Husなどをよく聴いていたそうですよ。
彼女が今後どんなサウンドに挑戦していくのか、本当に楽しみです。

9. Face My Fears

ゲームソフト「キングダム ハーツIII」のテーマソングとして2019年にリリースされた楽曲。
この曲はLA出身のプロデューサー、Skrillexとの共作で制作された楽曲で、Skrillexは元々宇多田ヒカルのファンだったらしく、彼の友人でJustin Bieberの楽曲を多く手掛けているプロデューサーのPoo Bearを交えて完成させたんだそうです。
そもそも彼女は他のアーティストとの共作というのが少なく、自分以外の人が書いた歌詞を歌うというのもカバー以外ではほとんど初めての経験だったそうです。
アルバムには日本語バージョンと英語バージョンがそれぞれ入っていて、ボーナストラックとしてA.G. Cookによるリミックスも最終曲として収録されています。
ピアノを軸にした物悲しいバラード調の曲にSkrillexによる攻撃的なビートが加わり、フューチャーベースなサウンドへとモデルチェンジしたような仕上がり。
先日の配信ライブではバンド演奏によるシンプルなバージョンが披露されていましたが、こちらを聴くとメロディーの美しさと強さがより伝わってくるような印象を受けましたね。
その配信ライブではUtada名義でリリースされた「Exodus」から「Hotel Lobby」「About Me」の2曲も演奏され、個人的にはかなり驚きましたね。
この「Exodus」、アメリカでのデビュー作として2004年にリリースされたんですが当時はあまりウケが良くなかったんですよね。
その頃のメインストリームシーンはヒップホップやR&Bが主流で、恐らく彼女にもそっちのスタイルのサウンドでの制作が求められていたんだと思います。
実際彼女が契約したのはIsland Def Jamで、2001年にDef Jamが指揮をとって制作された映画「Rush Hour 2」のサントラに収録されたUtada Hikaruとしての楽曲「Blow My Whistle」は、The NeptunesプロデュースでFoxy Brownのラップをフィーチャーしたヒップホップ色の強いテイストの曲でした。
ただアルバムを制作する段階での彼女の目指す音楽的な方向性はそっちではなく、よりエレクトロやクラブミュージックなテイストのサウンドで、完成した「Exodus」はまだ誰も聴いたことのない非常に挑戦的な作風のアルバムでした。
Timbalandも数曲参加したこのアルバムは今改めて聴く価値のある作品だと思いますね。
彼女自身、自分のこれまでの作品の中で誇れるものは?という質問に対して「Exodus」を挙げています。
アルバム「BADモード」をより楽しむためにも未聴の方はぜひ「Exodus」もチェックしてみて欲しいと思います。

10. Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー

アルバム本編の最終トラックとなる「Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー」。
この曲を最初に聴いた時、静かにガッツポーズをしましたね。
あ、この人とんでもないレベルにまで進化してるなと確信した瞬間でした。
先程から何度か言及しているように、今作はエレクトロやハウスなどのクラブミュージックとの接近が大きなポイントとなっているかと思いますが、その取り組みの最も洗練された成果がこの曲ですね。
3回目の登場となるロンドン在住のミュージシャン、Floating Pointsが共同プロデューサーとして参加していて、彼が得意とする浮遊感のあるアンビエントな質感のクラブサウンドは本当に極上の心地良さ…。
この曲11分54秒もある超大作なんですが、マジで永遠に聴いてられるレベルで全く飽きずに曲が終わります。
元々は4分弱くらいの長さだったものが、Floating Pointsのアイデアによって加えられたアレンジがカッコよかったこともありどんどん曲尺が伸びていったんだそう。
朝方のクラブでクールダウンしている時のような、もう疲れてるし早く寝たいけど鳴っている響きが心地良くて自然と無意識的に体を揺らしてしまう感じというか。
Floating Pointsはジャズを根幹に持ちながら様々な楽器を駆使してエレクトロとクロスオーバーさせた独自のサウンドを作り出す職人気質なミュージシャンですが、彼のスタジオは珍しいものから定番のものまで様々なタイプのシンセサイザーの博覧会のような状態なんだそうで、今回のアルバムでも3曲それぞれが違った質感の音色のシンセが使われているような気がしました。
様々な機材の掛け合わせでカスタマイズ出来るモジュラーシンセ(恐らくBuchla?)を使用したこの曲は、トラック自体は無機質ながらも生のパーカッションが入る事で温度を感じるというか、曲のテーマでもあるリゾート地のようなバレアリックな空気感を上手く出せていますよね。
パンデミックが収束しまた以前のように世界中を旅行出来るようになる事を願ったような歌詞も含めて、彼女がロンドンに移住しそこを拠点に活動してきた事の意義というか、その成果みたいなものが最も良い形で表れた楽曲なのかなと思いますね。
以上が今作に収録された全10曲です。
ボーナストラックとして「Beautiful World」の新バージョンなどを含め4曲が収録され、配信されたアルバムは全14曲で構成されています。

というわけでアルバム「BADモード」について一曲ずつ個人的な見解も含めて解説してみたわけですがいかがでしたでしょうか?
Floating PointsやA.G. Cookの参加でこれまで以上に海外からも注目を集める事になるのかなと思いますが、海外の最新鋭の作品と比べても全く遜色ない、むしろ遥かに優れたレベルの完成度の作品だと本気で思いますね。
ポップミュージックとして成立していながら、多方面に枝分かれした様々なジャンルの音楽から宇多田ヒカルというフィルターを通して抽出された、彼女オリジナルのサウンドを鳴らす事が出来ているのは本当にお見事ですね。
20年以上のキャリアを持つシンガーソングライターの最新作だとは到底思えない新鮮さとチャレンジ精神に溢れた、まさに傑作と呼ぶにふさわしいアルバムだと思います。
この記事を通してこの作品の素晴らしさや面白さを伝える事が出来ていたら嬉しいです。
最後まで読んで頂きありがとうございました!

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