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本棚で買える幸せ、そして春がくるらしい

やっと、やっとこさである。
ついに本棚を買った。偉業達成の瞬間である。

私の部屋は本にまみれている。
天井近くまである、一棹の本棚からは本がこぼれ落ち、着物を収納しているクローゼットの下段からも本は溢れ、窓を覆い、ついに自室から光が失われた。観葉植物は、過酷な環境に適応できず、人知れず枯れ果てた。
これが、私が過ごした冬であった。

家に引きこもっていても、春の気配は忍び寄ってくる。
いい加減、人間らしい生活がしたい。太陽の光が差し込む部屋で過ごしたい、というか換気したい。
しかし、窓が開かない。本が積みに積まれているから。
というわけで、冒頭である。

ほんのささやかな、文庫分が入る4段仕立ての本棚である。インテリアなど小洒落たことは考えず、白色が気に入ったので、それにした。
詰めれるだけ本を詰めて、自室の入り口近くに設置した。もちろん、本棚の上にも入らなかったハードカバー達を乗っけた。
おかげさまで、窓は半分は開くようになり、机の上も物を置ける状態になった。
小さな本棚の活躍で、少しばかり掃除をして、またnoteを書けるようになったし、
活力も微々たる物であるが戻ってきた。
私にとっては神棚同然である。金で買える幸せ、有り難し。
勢いづいて、またしても観葉植物を買った。羽衣ジャスミンだ。
もう蕾が沢山ついている。窓際で光を浴びている様子は、文鳥のくちばしのようで愛らしい。

冬は名残惜しいが、もう梅も散り行き、桜が春爛漫を土産に歩いてきている。
私は春が好きだ。柔らかな朧げな雰囲気を纏いながらも、冬の停滞を打ち破り、生命を目覚めさせる荒々しさを持ち合わせる二面性が好きだ。

いつまでも停滞しているわけにはいかない。
人間は退行への欲望と、進化への欲望の両方とも持ち合わせている。
善を選ぶためには、自覚しなければならない。
どちらかを選ぶ自由は、まだきっと残っているはずだ。
この春は心も掃除して、かたくなさを和らげてみたい。
冬の停滞を捨て去って、悲しくても、苛立っても動じないように気を張るのも、ゆっくりやめていって、心のままに感じてみたい。
春の美しさも、生命の輝きも、人の心にも触れていきたい。
フロムの悪についてを読みながら、そう感じた。

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