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さみしいの解決方法がみつからない。

そのままの感情を文章にすることで、
少しは救われた気分になるかもしれない。
これが最終的な私の防衛策だ。




言葉にならない、できない。
その何かを共有することができて、
私のさみしいはどうやら
初めて解消されるらしい。
もしかしたら、この文章を読んだ誰かが
ひっそりと共感してくれているかもしれない。
と、流れ星に願いを込めるかくらいの
淡い期待に救われるために、
私はこの文章を書いている。




私はややこしくできてしまったものだ。
と、つくづく思う。



檸檬。

私は昔から檸檬がすきだ。
でもただ単に檸檬がすきなわけではない。
目の前に檸檬がすきな人が現れたとして
「好きなものが一緒だね!」
と言うことはできる。
嘘ではないから。
でも、それがイコール私の中で
「価値観が一緒だね。」とはならない。


檸檬は酸っぱくて、
単体でなかなかメインになることはないのに
サブとして何かコラボした瞬間に
メインを引き立て、
価値を爆上げするところが好きなのだ。

檸檬ティーは
紅茶の中でその地位を確立しているし、
なんこつの唐揚げには必要不可欠だと思う。
誰かを引き立て、自分もしれっと
活躍してしまう檸檬がすきなのだ。
酸味のあるものはもともと好きだからかもしれない。
餃子のたれはつい、酢を多めに作ってしまう。



2年目の白いビオラ。

生花を飾りだしたのも、
さみしいの解決策のひとつだった。
同じ空間に生きものに
居てほしいというかすかな願いでもある。


ベランダには今年2年目の白いビオラが
春をすこし過ぎて咲き始めた。
肥料をあげるタイミングが
遅れてしまって
満開のタイミングが初夏になってしまった。
でも、期待には応えてくれた。
冬場に緑が見えなくなってしまって、
枯れてしまったのかと、
心配していたけれど、
きちんと冬を越して今日も咲いている。
すこしだけ花の大きさが
小さくなってしまったような気がする。
枯れる期間をつくるような、
春の準備をしている、
その意気込みが私はすき。
少し小さくても満開までやりきれるところがすき。
ただ単に白いビオラがすきなわけではない。


カスミソウも
檸檬と同じような理由で、すき。








ここまで書いて
今日もすこしだけ、
さみしくなくなったことにする。

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