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楽しいと寂しいは共存する形容詞らしい。

パスタが小鍋の中でくるくると踊り、気泡と戯れるように熱湯を楽しんでいるように見えたから、楽しそうだな。と眺めていたら、今日の晩御飯であるパスタたちを茹ですぎてしまった。私の日常らしくて少しだけ可笑しかった。誰かと一緒に食べるときは楽しそうなパスタに気を取られないようにしようと思った。


人生で初めて作ったミートソースは家にあったと思っていたトマト缶がストックされてなくて、一瞬戸惑ったけれど冷蔵庫にあったミニトマトに代打をお願いして、レシピに書いてあった「水」をトマトジュースに変更して、ことなきを得た。時間をかけて水分を飛ばして煮詰めた分、初めてにしては上手にできたと思う。

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デザートに剥いたリンゴはシャクシャクいっていた。



朝ごはんは何にしようか。と言っておきながら、7時半まで布団から出られなくて新年早々にコケまくっているな。と思いながら、午前中を過ごした。明日こそは早起きしたい。。。

その分、気合いを入れたお昼ご飯を作った。
(職場から車で家が5分くらいなので、田舎ではお昼休憩は家で食べる。がデフォルトです。私も最初はめちゃくちゃに驚いた。)


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ポテトサラダのサンドイッチとズッキーニとツナのサラダ。ツナ缶のポテンシャルのすごさに驚愕しながら、ポテトサラダにはどうしてこんなにもお好み焼きのソースが合うのだろうか。と思いながら食べた。コーヒーもミルクたっぷりのミルクコーヒーで、ささっとカフェに入って注文したランチメニューを意識しながら盛り付けて、カフェソングを流しながら満喫してみたりした。
ツナ缶頼りのズッキーニのサラダは定番にしてもいい。






人生の時間全部で一人遊びをしているみたいで、楽しいようなちょっとだけ寂しいようなそんな気分になる。いや、寂しいから一人遊び人生を楽しもうとしているのかもしれない。
楽しいと寂しいは全く別次元の形容詞らしい。どちらかひとつでもいいだろうに、どちらも同時に存在するから人はややこしくなってしまうのだ。



そう、私は楽しんでいる、けれど、私は寂しいのだ。
カッコつけたりプライドだったりで、みんな最初の形容詞しか表現できなかったりすることが多いと思う。私もそうだった。誰かと話していれば解決できるような「寂しい」でないことも最近は薄々気がつきだしてしまった。できなくなっていくことが増えていく代わりに、気がつきたくなかったことにどんどん気がついてしまう。わさびの美味しさがわかるようになるくらい、素敵な大人の階段ばかりが転がっていたらいいのに。
こうなったらもう、未来の寂しくない幸福貯金をしているのだ。と、何も決まっていないはずの未来に期待せざるを得ない気がしてきた。
長く助走をとった方が遠くに飛べるって聞いた。って歌詞をそのまんま引用して。

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